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目次 1.ナザレのイエス 2.十字架の意味 3.大調和 4.ユダについて 5.復活 6.キリストの本質 (一九八七年十一月十三日の霊示) 1.ナザレのイエス 私が、二千年前に、ナザレの地に肉体を持ってより、すでに二千年の月日が流れました。この二千年を思うとき、長いという感慨もあるが、また、わずかな時間であったという思いもある。二千年の月日は、あるときは長く、あるときは短く、思われるけれども、いずれにしても、地上に肉体を持つということの意味を、深く、深く、感じさせるものがあります。 我らは、数千年に一度しか地上に肉体を持ちませんが、そのわずか数十年の人生が、自分の運命にとって重要であるのみならず、全人類の運命に大きな影響を与えているということ、これに対して、深い、深い、責任を感ずるものであります。ひとりの人間の生き方が、後(のち)の世の人びとの生き方を決定するという大きな任務を考えたときに、あなた方の人生も、また、大変な重荷を背負うているということを、知らねばならんと思います。 我はナザレに生まれ、三十三歳にてその人生を閉じたものでありますが、この三十三年の人生は、おそらく、一億人も、十億人もの人生分にも匹敵したものであろうと思います。当時は、まだ、現代のように、活字も発達しておらず、書物も出回っておらず、テープもなければ、ビデすもないというような、そうした時代でありましたが、それでも私の人生というものが、多くの人びとの心に、何程かのものを残し得たということは、我が心のなかの、ひとつの、安心立命(あんしんりつめい)と申しますか、心のなかの清涼感ともなっています。反面、自分の人生、この三十数年間の人生というものを、実在界に還って、二千年このかた考えてみるに、まだまだという気持は、多くあります。 私としてはまだまだの人生であっても、後の世の人から見れば、それを完全な人生であるかのごとく考えがちであります。私もまた、肉体を持って地上にあった一個の人間としての限界を感じつつ、生きておったものであります。 今から思い出すのに、二千年以上も前、いや三千年、そのぐらいの前になりましょうか、私が地上に肉体を持つ千年ぐらい前には、すでに私が地上に降りるということは予定されておりました。そして、エレミヤもそう、あるいはイザヤもそう、さまぎまな預言者たちが地に降りて、やがて私が生まれるということを預言していきました。そうした序曲というものを、いつの時代も奏(かな)でる人がいるわけであります。 光の指導霊というものは、いつの時代にも、自分の後に来る者の予言をして地上を去っていくのです。 最近においては、高橋信次という人間が、地上に肉体を持ちましたが、後にしても死ぬ間際(まぎわ)に、後に来る人のことを予言していったはずです。すなわち、その五年後に、彼が地上去った五年後に、法を継ぐ人が出るということを予言して、地上を去ったはずであります。 実を言うと、この予言こそが、彼の今回の人生において、最大の重要事であったということなのです。それがあわただしく、ほんの急ぎの時間の中になされた予言のようにも思われるけれども、その予言が、実は彼にとって一番大事なことであったということであります。 私たちの世界から、二人の指導霊が出て、そして、バトンタッチをしていくという予定になっておったのです。ナザレの当時において、私が法を説いたときに、さまざまな苦難、困難と相対峙せねばならなくなりました。 その理由のいくつかを考えてみたときに、一つには、私が救世主であることを自分で名乗りはいたしましたが、その、私が救世主であるということに対する予言というものが曖昧(あいまい)であった。こういうことがあろうと思います。後の世に、そうした救世主が出るということは子言はされておったけれども、それがイエスと言われた私であるということを、世の人びとがそれを認めることはできなかった。それがゆえに、我が十字架があったということが言えると思うし、また、その予言が不明確であったがために、私の命も縮(ちぢ)んだと同様、また、私もさまざまな迫害を招来せざるを得なくなったということがある。 それ以外にも、三十歳という年齢で、法を説き始めたということが、やはり、世の律法学者という大家他たちから見れば、何にもまして、妬(ねた)ましいことのように見えたのではないか。こうしたことが、彼らの憎悪と怒りを増幅させたのではないか。こうした感じがあるわけであります。 こうしてみると、私たちは、大いなる反省のもとに、新たな計画を練(ね)ったわけであります。それは、後(のち)に出てくる者の予言を、より明確にするということが一つ。それと、その者が大いなる迫害を受けないですむように、周到な準備をするということ。この二つであります。こういう二つの大きな用意をしたわけであります。 2.十字架の意味 さて、私は二千年前に、ナザレにある、まあ、ゴルゴダという丘、「しゃれこうべの丘」という意味でありますが、この小さな丘に、罪人たち二人と共に、十字架に架けられたわけであります。 やがては、この事件も、神話か何かのようになっていくのでありましょうが、しかし、現特点であなた方が感じるように、これはまだ、歴史的なる事実でありました。 この十字架の意味ということに関して、キリスト教会でも、この長年の間、さまざまに議論がなされてきました。何のための十字架であったのかということです。また私が救世主であるのに、なぜ救世主が、死という現象に見舞われねばならんのか。なぜ、罪人とともに磔(はりつけ)にあうという、この世的には一番最悪の死に方をせればならんのか、といことに関する疑問であります。 また、いま一つには、贖罪(しょくざい)説、これに関する疑問も数多くあると思います。神は、人類の罪を贖(あがな)わんがために、その一人子をこの世に遣わして、十字架に架けられたのである。こうした考えに関する、さまざまな議論があると思います。 この贖罪説、人類の罪を贖わんがためにということに関しては、二つの面からの検討ということがあり得ると思います。 第一の面は、これは、事実その通りという考え方であります、すなわち、私が地に遣わされたというとは、それ自身が、ほかならぬ人類のための肥やしであり、また人類のための肉であり、人類のためのワインであったということは、事実であります。引き裂かれたパンのように、私は人びとの口の中にほうリ込まれ、私の血は、絞られた葡萄酒(ぶどうしゅ)のように飲みほされたのであります。これは事実であり、私という人間が、その生命を捨てるということによって、多くの人びとの心の糧(かて)となったということ、彼らの精神の乾(かわ)きを癒(いや)したということ、これは真実であります。こういうことを言うことができると思います。 さすれば、この人類の罪を贖(あがな)わんがために、神がその一人子を地上に遣わしたということは、その意味においては当たっているわけであります。我が肉体は、人びとが食するための、小麦のパンであったのです。そして我が血は、我が流す血は、人びとを祝福するための葡萄酒でもあったということです。結局のところ、人びとは我が精神を食らい、我が命のしぶきを飲みほして、そして、精神の糧としたわけであります。 その意味においては、我は大いなる自己犠牲のもとに、人びとに奉仕をせんとしたわけであります。この点において、一つの生(い)け贄(にえ)の子羊的な考えも、なかったとは言いかねる面もあるかと思います。 しかし、もう一つの点、もう一つの面というものを、見落としてはいけない。その面とは一体何であるかというと、私が十字架に架かったことによって人類の罪が贖われたわけではないということ、これを知らねばいけないということです。 私が十字架に架かったということは、それ自体は、人類がそれだけ罪深い行為をしたという事実を、歴史の中に残すことになった。この事実自体を考える立場に、二者あり。一者は、それほど罪深いことをする人間であるからこそ、大いなる懺悔(ざんげ)をし、心を悔(く)い改めねばならんのだという考え方であります、この意味に立つならば、この見地に立つならば、贖罪説というのは、ある意味では当たっておるかもしれん。 ただ、もう一つの意味として、私が十字架に架かることによって、人類の罪がそのまま許されたのだ、何もしないで許されたのだという考え。すなわち、神という、大変凶暴な種類の方がいて、その方に人身御供(ひとみごくう)を捧げたら、その怒りが鎮(しず)まったというふうに捉(とら)えているとするならば、これは間違いであります。 私の死は、天上界においては、大いなる悲しみをもって迎えられたのであります。それは後の世に、モーツァルトという人が、レクイエムという曲を作曲したがごとく、そうした大いなる悲しみでもって、高級諸霊たちは私の死を眺(なが)めたのであります。それはある意味で、決まっておったことではあったけれども、やはりその通りになったということが大いなる悲しみでもって迎えられたということであります。 十字架ということは、私が地上に出る千年も前から、予定はされておったことであります。それに対しては、いろんな考えもあったでしょう。たとえば、ナザレの王イエス、ユダヤ人の王として、本当に支配者として君臨するという生き方もあったでありましょう。かつて私は、そうしたことを何度も経験したことがあります。地上に肉体を持ったときに、何度も、何度も、王として人びとを統治したことがあります。 しかし、今回は、私の身分としては、一番最下層の身分として出たわけであります。一文(いちもん)の資産もなく、その日の糧にも困り、ねぐらをとる所もなく、そして、多くの人に石を投げられ、茨(いばら)の冠(かんむり)をかぶらされて、そして十字架に架けられた。罪人と共に十字架に架けられた。そうした人生を選んだ。 幾度の転生輪廻の中には、そうした立場に立つ必要もあるということです、それはまた、大いなる謙遜(けんそん)の美徳を人びとに示さんがために、行なったことであるのです。 二千年たった今、私の出誕ということ自体が、処女降誕ということになり、さまざまな神話で彩(いろど)られてはいます。ただ、私の本当の生き方、人生というものは、そうした奇跡的なものではなくて、やはり、俗人に交じりながら、俗人とは違ったものを次第に発揮していったというのが、本当の人生であったと思います。 今、この三十三年の生涯というものを、振り返ったときに、自分ながら、こうしたことはもう二度とはあるまいと、よく、つくづくと思ったものであります。それは生きている人間として、自分が神理の法を説いておりながら、そうした悲劇的な最後を終えるいうこと、その悲劇的な最後を終えて、その後世界が一体どうなることかということに関しては、やはり未知数でもあったわけであります。 本当に、これが、自分が十字架に架かることによって、全世界がやがて変わっていくならば、それは良いことでありますが、いかんせん、肉を持った身としては、十字架に架かるということによって、自分の存在が否定され、自分の教えが否定さたがままになるならば、何の生涯であったかがわからないという、そうした不安はあったと言えましょう。私としての、人生の価値が、ある程度定まるには、私の死から、やはり百年の歳月がかかったということが、真実であったと思います。 今、みなさん方は、どうしても急ぎ過ぎるということがあって、同時代に、同時期に、自分たちが認められなければならないという考えを、持ちがちでありますが、しかし、本当はそうしたものではないということであります。 私にしても、その値打が固まるのに、やはり百年はかかったのであります。百年ぐらいかかって、多くの弟子たちの力によって、そして、次第に世に認められるようになったようなわけであって、生きていたときには、ほとんど認められなかった。 群衆たちも、数多く私を支持してくれたけれども、私が十宇架に架かるときに、私を守ってくれた群衆はいなかったのです。私が得意の絶頂にあったときに、私を支持し、応援してくれた人は、数多くいたけれども、私に王の権力の刃(やいば)が向けられたときに、身をもって私を守ってくれた人は、いなかったのであります。 3.師と弟子 さて、ここで、私の弟子たちについて、話をしておきたいと思います。聖書のなかでは、十二弟子といって、有名な弟子たちが数多くいることになっております。今、私の最後のときに、私を守ってくれた人はいなかったということを言いましたが、これ自体が、聖書の中に記(しる)されている通りであります。 あれほど私に忠誠を誓ったペテロでさえ、我が身の可愛(かわい)さのために、私を裏切ったということが、聖書に残されています、三度まで、私のことを「知らぬ」と言ったわけです。私はそれを予言しました。「ペテロよ、汝は、鶏が暁の時を二度告げる前に、我がことを、三度知らぬと言うであろう。イエスなど知らんということを、あなたは言うであろう」。私は予言した。 しかし、ペテロはそのときに、「いや、先生、そういうことは絶対にあり得ません」。こういうことを言ったのです。 しかし、私の予言通りになりました、そのペテロは、私が逮捕される前の晩、王の軍勢が私を襲いに来たときに、剣を抜いて私を守らんとして戦ったほどの、勇ましいペテロでありました。それほどのペテロが、私がもはや囚われの身となり、王宮の中に囲われたときに、侵入していって、我が姿を見んとして、番人に見つかったときに、自分はそうではないということを言ったのであります。 まあ、ここに、人間の弱さと、我がドラマのなかにある悲劇性というものが、あったであろうと思います。結局、私が捕らえられたときに、多くの弟子たちはクモの子を散らすように、散ったわけであります。 そして、私を裏切ったということになっている、ユダという人間がいます。後世の人びとから見れば、なぜイエスは、そうした自分を裏切るような者を弟子にしたのか。あるいは、自分が十字架に架けられることを予定しておって、そうしたユダという者を入れたのか。こうしたことが、いろいろと議論されているようです。ただ、 ユダという者も、私の可愛かった弟子の一人であったのです。それは事実であります。 今、私は、私自身の口から、こうしたことについて話をしなければいけないと思います。 ただ、この十二人の弟子たちのことを考えてみるときに、私は彼らに、多くの教えを説いたけれども、残念ながら、私自身が、彼らを強くし、彼らを本当の高みまで導くことができなかったという点が、残念に思いますし、私が地上を去ったあと、多くの弟子たちを、そのまま若い命を散らしてしまったということに関して、非常な悲しみを感ずるものであります。できるならば、彼らに多くの成功を与えたかったという気持があります。 キリスト教のなかには、どうしても悲しみというちのがあり、どうしても悲劇性というものがあるように思います。それは、人類の記憶に残るドラマとしては、そういう悲劇というものも、いつの時代にも用意はされているのです。悲劇のドラマというものは、人びとの口にのぼり、多く記憶のなかに残っていくのです。そういう意味において、悲劇ということも、伝道において、大事なことにもなりますが、ただ、私の流れを汲(く)んだ者のなかに、悲劇的なるものを好んだ者が多かったことも、事実です。 それは、後の世の人たちも、数多く十字架に架けられ、火あぶりに遭(あ)い、石にて殺されたという事実であります。この事実を、どう観ずるかということでありますが、結局、弟子というものは、師を真似(まね)るということであります。師がそれだけ激しい生き方をしたということが、結局、弟子たちの、そうした生きざまを決定したのではないかと思います。私自身の、妥協を許さない性格が、後の世の弟子たちの死に方を決めたように思います。 その意味では、師と弟子というものはいつも、一連の、ものの考えの中にあるということが言えましょう。私が、本当に平和をもってよしとするならば、そうした弟子も数多く出たかもしれませんが、私は、結局のところ、愛と調和は説きましたが、その実践として、その実行としては、やはり戦いの人であったということが言えると思います。それほど魔は競(きそ)い立ち、神理の火は消えんとしておったのです。 このときに、私は人びとに言いました。 「我が平和を持ち来たらさんとすると思うな。我がこの世に来たりたるは、汝らのなかに剣(つるぎ)を投ぜんがために来たるなり。我が投ずる剣(つるぎ)によりて、夫婦は別れ、親子は別れ、兄弟は引き裂かれるかもしれぬ。しかし、この剣を投ぜんがために、我は来たるなり」 こういうことを私は言いました。すなわち、神理ということを信ずることによって、大いなる危難、困難というものが来て、それと戦うときに、もはや人間としての絆(きずな)を断ち切らねばならんことがあるということを、予言しておったということであります。 まあ、これは、現代のあなた方に説明しても、必ずしも理解を得ることはできないであろうと思います。なぜならば、その時代環境というものが、あなた方にはわからないからであります。 当時は、いわば、権力による圧政というのが、敷かれていた頃であったわけです。こうしたものを打ち破る、ひとつのエネルギーというものは、彼らにとっては非常な脅威であったわけです。こうした脅威を押さえるために、国中が力をあげて、その権力を結集して、私を迫害しようとしておったのです。 私の味方たちは、一体誰でしょうか。それは貧しい人たちであったのです。漁師たちであったり、取税人(しゅぜいにん)であったり、あるいは娼婦(しょうふ)たちでありました。こうした、社会的に身分が低く、世の人びとから虐(しいた)げられた人びと、彼らが私を守っていたのです。 そうした、弱い者、この世的に迫害され、虐(しいた)げられた者のために、私は立ち上がり、彼らが私を助けてくれたのです。もし、彼らなくせば、私の人生もまた、実効のあるものとはならなかったでありましょう。 私は、そのなかに、愛というものの大切さを説いたつもりです。決して愛というものは、人の上に立って、金持ちが貧乏人に施すがごとく与えるものではない、ということを言いたかったのです。愛は、大いなる慎(つつ)ましやかさのなかにあり、大いなる謙虚さのなかにあるということを、私は教えたかったのです。 したがって、私が選んだ弟子たちも、この世的には、学問もなく、教養もなく、身分もなく、お金もなく、何もない弟子たちでありました。ただ、彼らの多くは、私を信じたということです。「主よ、あなたを信じます。あなたについていきます」それだけが、師と弟子とを結ぶ、一条のものであった。一筋のものであった。一筋の誓いであった。こういうふうに、言うことができると思います。 私は、彼らに、何の利することもできませんでした。彼らの心に、糧となる言葉をはくということが、私の仕事のすべてであったわけです。そのために彼らは、若い命を失っていったのです。 4.ユダについて さて、この弟子の中で、ユダというのがおりました。私を裏切ったということで、有名になった人間であります。 このユダについての解釈も、さまざまに分かれてきておって、現在も定説がないように思います、そこで、このユダについて、私は、本当のことを、みなさんに話をしなければいけない。このように思います。 人間は、生まれつきの悪人というのは、基本的にはいないのです。すべて素晴らしい人として、生まれておるんです。それが、この世の中で生きていくうちに、さまざまな悪習に染(そ)まったり、さまざまな思想にとりつかれたり、さまざまな人の意見に惑(まど)わされたりするようになってきます。 このように、人間というちのは、本来素晴らしいものであるけれども、また、弱きものであることも事実であります。その弱きものである証拠に、心の中への誘惑に、打ち勝ち難いものがあるということです。それは、金銭に窮(きゅう)すれば、金のためなら何でもするというようなことは、人間にはあり得るし、食料に窮すれば、食料を手に入れるためには、何でもするということでもわかるように、結局のところ、追い詰められたときに人間というものは、一番大切なものでも捨てることがあるということです。 戦争の渦中(かちゅう)にあっては、一冊の哲学の書よりも、一握(ひとにぎり)りの米のはうが、ありがたいものです。今日、パンを買うお金がない人にとっては、聖書の一冊よりも、やはり、千円札の一枚のほうが、ありがたいものです。 こうした人間の弱さというものを、見たときに、知ったときに、私はこれを一概(いちがい)に否定はできんと思うのです。そうした人たちを、決して、それでもって、弱いということでもって、悪人であるとか、悪魔であるとか言うことはできないのであります。 ユダという人間は、これは弱い人間であったということです。そして、臆病(おくびょう)な人間でもあったと思います。今、ユダという人間について、話をするとするならば、彼はまあ、どちらかというと、非常に臆病な人間であったのです。そして、どちらかというと、日和見(ひよりみ)的なところがあったと思います。そういうことで、何よりも自らの生命の危険とか、自らの弱さというものを、十分に知っていた人間であるうと思います。 ただ、私が、あなた方に言っておきたいことは、あなた方であっても、たとえば、自分の財産と、自分の生命が危険にさらされてでも、自分の師のために生きるということができるかどうかという現実に立たされたときに、自分がユダにならないということは、確約はできないということです。 当時、もう、私の命が狙(ねら)われているということは、公然の秘密でありました。また、私が十字架に架かる、もう一年も前から、あるいは、もっとそれ以前から、イエスを殺せという声は、町のすみずみから溢(あふ)れていたのです。私は、ちょうど、指名手配人のごとく、仲間の家から仲間の家へと、隠れがから隠れがへと、隠れていて、逃げていて、そして、私を信ずる者たちが、集まっている会合に、どこからともなく現われては、法を説くというかたちであったのです。 誰の目から見ても、我が死はもう、すぐそこに来ているという状況であり、また、私の弟子たちも、数多くは、もう死を覚悟しているような状況であったのです。こうした限界状況にあって、果たして、世の人びとよ、今私のこの書物を読む人びとよ、あなた方もユダにならないということを言うことができるであろうか。 人間にはすべて、それぞれ自分の立場というものがあり、それに対する合理的な説明というものがあるのです。ユダという者が、小額のお金のために、私を裏切ったというふうに言われております。お金を貰(もら)ったということは、事実でありましょう。ただ、お金のためだけに、彼が我を、私を裏切ったわけではないのです。 彼が私を裏切った、その本当の事実は、こういうことであったのです。結局、私は、弟子たちに公平に接していたつもりではあったのだけれども、どうしても私にも、弟子たちに対する愛に差があったと思うのです。私は、ペテロという弟子を愛しました。また、『ヨハネ伝』を書いた、ヨハネという弟子を愛しました。また、十二弟子ではありませんが、マルコという青年を愛していました。 ユダという人間は、比較的最初の頃から、私の弟子になっておったのでありますが、私が、そうした、後進の弟子たちを、あまりにも愛するがために、その嫉妬に身を苦しめていたのです。結局はそういうことなんです。彼も、私に対する愛はあったんだけれども、その愛が昂(こう)じて憎しみへと変わっていったのです。 これは、男女の間でも、よくある話であります。あまりにも相手を愛していて、相手が自分のことを思ってくれないときに、その愛は、どこからか憎しみに変わることもあります。 ユダという人間の心の中にあったのは、結局は、この嫉妬心でありました。自分が一番弟子になりたかったのです。しかし、私が彼を一番弟子にすることをしなかった。 彼は、自分は利発な人間だと思っていた。利発であることは、わかっているけれども、心が澄んでいないということを、私はいつも彼に指摘をしていた。「あなたはもっともっと強くならなければ、信仰でもって正道の柱を打ち立てねば、本当に自分の使命を果たすことはできない」そういうことで、厳しく、私は彼を指導していたものであります。 しかし、私は私の心を理解するペテロ、多少単純なところもあって、強気にはやる人間でありましたが、このペテロと、また、忠実に私の心を見てくれるヨハネ、『ヨハネ伝』のヨハネ、こうした者たちを、大変愛していたのです。 ですから、このユダの、本当の裏切りの理由は、ペテロとヨハネに対する嫉妬心であったということが言えると思います。 また、ユダは、もう一つの不満を、私に対して持っておりました。それは、彼の心の中に、非常に貴族趣味的なものがあったのです。高貴なものへの憧(あこが)れがあって、そういうふうにしてほしいという気持があった。 したがって、ユダはかねがね、私が、取税人(しゅぜいにん)、貢取(みつぎと)りですね、取税人と寝食をともにしたり、あるいは、世の中では身分が低いと言われていた、そうした商売女ですか、娼婦(しょうふ)と共に話をしていた、こういうことに対して、どうしても我慢がならなかったのです。 「聖者は聖者としての生き方があるはずだ。そういう貢取(みつぎと)りとか、あるいは、娼婦とか、こうした者を近づけてはいけない。やはり、法を説く人は、それだけの人を周(まわ)りに集めなければいけない」 こういうことを、常々ユダは言っていたのです。それはそれで正論であったかもしれない。 彼は、結局、私に対する警告をしていたのです。こういう、娼婦であるとか、社会的身分の低い人とばかり付き合っていると、とにかく、そうした権力、お上の目というものは厳しいものがあって、それらの者を、朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなるではないけれども、付き合う者を見て判断される。だから、そういう者は遠ざけなさいと、いつも言っておったわけです。 しかし、私はそれをやめなかった。こうしたことが、ユダの私に対する不満の第二であった。他にもっと愛する弟子がいたこと。それと、私が、彼が言うような、そういう下層階級の者とも交(まじ)わったということですね。こういうことを、常々彼は不満に思っていたのです。 そして、最後の頃には、彼の心の中にもよく魔が入っていたので、私はそれを厳しく指摘した。私の弟子たちの多くは、すでに霊能者のようなかたちになっていて、善霊も悪霊も、時どき身体を支配するというような状況であったと言えましょう。ユダの中にもよく入っていたので、私は公然と、みなの前で彼を叱責(しっせき)したことが、何度かあります。そうしたことで、彼自身も、かなり感情的になったという面もあるでしょうか。 しかし、彼の心のなかには、もう一つあったのです。それは、私が、世にいう救世主であるならば、もっともっと大きな力を発揮せねばいかんのではないか。こういう気持があったのですね 。すなわち、私を試(ため)そうという気持が、彼のなかにあった。 四十日、四十夜、荒野(あらの)の試みで、サタンが私を試さんとしたように、「汝ひもじければ、この石を変じてパンとせよ」、あるいは「汝神の子ならば、この崖(がけ)より飛び降りても死すことあるまじ。飛び降りよ」、こういうふつにサタンが私を試しましたが、これと同じように、彼の心のなかには、私を試したいという気持があった。 「先生は、自分は救世主というのに、救世主のわりには、それだけのことができんではないか。世の中救われんではないか。救世主が、なぜ命を狙(ねら)われるのか。救世主なのに、なぜあれだけの軍勢に取り巻かれるのか。おかしいではないか。なぜ、世の人びとが、それを納得(なっとく)しないのか」 こういうことがあったのですね。そして、そのために彼の心の中には、私を試してみたいという気持があった。 「本当の救世主ならば、それだけの奇跡を起こすであろう。あのエリアが、地上を去るときには、火の車に乗って天に昇(のぼ)ったと言う。そうした奇跡が起こった。それであるならば、エリア以上の人であるならば、それだけの奇跡を起こすであろう。モーゼが、エジプトの地を逃(のが)れんとしたときに、神は、紅海をまっぷたつに割って、彼を逃(のが)したではないか。さすれば、王の軍勢が本格的にイエスに向かったときに、何らかの奇跡が起きるはずである」 こういうことで、彼は、それを試してみたいという気持があったのです。彼自身の信仰に、そこに曇(くも)りがあった。神を試すという気持があった。何らかの奇跡が起きなければ信じない、こういうところに弱さがあったわけです。 これは、今のあなた方にもあるでしょう。法のみを聞いて信ずるか。奇跡を見なければ信じられんか。こういうことですね。法のみを見て、聞いて、信じられる人は幸いである。しかし、奇跡を見なければ信じられない人は、残念ながら、その素質において、可能性において、かなりの見劣りがすると言わざるを得ない。 ユダは、その奇跡を見んとした。 「ヤーヴェの神、エホバの神の奇跡が起きるのではないか。モーゼを逃したように、紅海を割ったように、エリアに火の車を与えたように、神は何かを与えるのではないか」 そういうことで、迫っ手を私に仕向けたわけです。 しかし、奇跡は起きなかったわけであります。私は、自らの予言通り、十字架に架かって、罪人と共に死んでいったのであります。 その私の姿を見て、最後まで奇跡を期待しておったユダは、自分の愚かさに気がついたわけであります。 「私は神を計(はか)ろうとした」ということを、彼は気がついた。そして、悪の手先に自分がなったということを知った。わずか、今日でいうならば、わずか数千円のお金のために私を裏切ったことを知って、彼も私の死の翌日に、柿木(かきのき)に首を吊(つ)って死んだことは、みなさんご存じの通りであります。 まあ、そうした、哀(あわ)れな役割をした人間があった。 けれども、こうしたユダは、何時(いつ)の時代にちいるということを知らねばならん。これは弱い人の象徴であり、奇跡を見なければ納得しない人の象徴であるということ。神理を求める人の中にも、法のみでは満足せず、言葉のみでは満足せず、奇跡を、しるしを求める人たちは、これからもあとを断たんであろう。そういう人たちは、いつユダにならんとも限らんのです。それは、心弱い人なんです。信仰が弱いのです。まだまだ信仰か弱いのです。 他なる、外なるユダを責めず、内なるユダを責めなさい。自分の中にも、そうしたユダが住んでいることを知りなさい。それが、信仰を持って生きていく人間の、基本的な立場であり、考え方でもあろうかと思います。 私は、今、ユダを憎んではいません。彼は、まだ地獄にいるけれども、ただ私は憎んでいない、。彼が地獄にいる理由は、彼自身が自分を許せないということと、また後世の数千万、数億人の人たちがユダを憎み続けているということです。 また、イスラエルの国が、あれだけ多くの試練を受け、また、多くの迫害を受けてきた理由は、そのユダ、ユダヤ人であるユダヤ、私を裏切ったという事実、救世主を殺したという事実でもって、迫害を受けている。そうした歴史の悲劇性を見たときに、全責任を自分に背負って、地獄で苦しんでいるのです。まだ、出てくることはできない。 やがて、その罪が許されることもあるであろう。それは人類の記憶の中から、私が地上に生きたということが、もう神話の時代となったときに、記憶の底に、底の方にと沈澱し、過去世の記憶へと流れ去っていったときに、彼の罪もやがて許される時があるであろう。しかし、まだ、その時は来ていないのです。
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目次 1.陽の当たる世界観 2.多次元世界を知った上で、足ることを知るの意味を考えなさい 3.学歴信仰の落し穴 4.スターを目指す人生の悲劇 5.誤魔化しの人生は、自分の理想と現実のギャップから始まる 6.不幸な人生は、有頂天になるか、自分を蔑むかの両極端から始まる 7.中道を基準にして物事を考えることの大切さ 8.自分を客観的に観れないところから不幸が生まれる 9.善意なる第三者の立場に立て 10.自分を客観視できた時、本当の自分が見えてくる 11.人間として生まれて来たことの幸せを悟りなさい 12.無限の可能性の中に足ることを知れ 11.人間として生まれて来たことの幸せを悟りなさい この世に生まれて来た、人間として生まれて来たっていうこと自体が、ひとつの大きな幸せなんです。これを忘れてるんです。あなた、色々の不平不満を言っている人がいたら、その人に言ってあげなさい。「じゃあ、あなたトカゲに生まれてきたらよかったですか。あなた、ヘビかなんか生まれてよかったですか。あなたはどうも執念深いみたいだけれど、ヘビに生まれてどうですかこの地べたをはっていたら幸せですか。どうですか。そんなことないでしょう。じゃ自分はこんな優秀な人間なのに給料が少ないのだの多いのだの言うけれど、じゃ猫に生まれたらどうですか。猫は給料貰いませんよ。猫がもらえるのはミルクか、魚の残りぐらいです。これの量が多いとか少ないとか猫は言ってますか。猫は与えられたものをただ食べてるだけです。」そういうことです。 犬だって一緒ですよ。犬が幸せ感じるのは一日一回、飼い主さんが散歩に連れてってくれるかどうか、今日は風邪をひいてるから散歩に連れてってくれないなんていうと、犬は不幸なんです。「辛いな。今日は散歩に行きたかったのに鎖につながれたままで、僕は辛いな。」って犬は思ってるんです。ところが飼い主さんの風邪が治って、一週間ぶりに鎖を解いて散歩に連れてってくれると、「ああ、嬉しい。やっぱり人生、人生じゃない、犬生かなんか知らないけど、犬の犬生も捨てたもんじゃない。こんな郊外まで散歩さしてくれて嬉しい。」彼らはこう思っているんです。じゃあ犬よりあなたいいんですか。どうでしょう。ヘピだって、そりゃあ子供を産めるんですよ。子供ぐらいヘビだって産むんだけど、結婚できないって言って悩んでる人一杯いるけれど、じゃあヘビに生まれて、男女のヘピがこう睦み合って、こうからみ合って、子供産む姿見てあなた、どっちがいいですか。やっぱり子供産めなくても、人間に生まれた方がよかったでしょう。 神様はいろんな生き物を創られたけれど、それは人間が、人間だけが生き物だったら、自分の置かれた立場が分らないから、様々な生き物を創られたんです。ですから、様々な生き物があるということは、人間として生まれたことがどれだけ幸せかということを悟りなさいという意味なんです。 じゃあ、あなた、植物に生まれたらどうですか。この室内にセソトポーリアの鉢があるけれども、セソトポーリアにあなたが花の精かなんかで生まれてですよ、一週間に一回水だけもらって、水やるの忘れられて枯れてきて、「枯れた葉はちぎって捨てればまたはえてくるから。」なんて言われて、あなた、これで幸せですか。こんな人生、人生っていうか、花生か知らないけれど、可哀相でしょう。動くこともできません。花から見れば、散歩できる犬は幸せですよ。犬は毎日散歩に連れてって欲しいかもしれないけれど、三日間散歩に連れてってくれなかったからって不幸だと言ってるかもしれないけれど、花から見りゃあ、足のある犬はいい。自分の思うとこへ、行けるんだから、その分私たち花の場合は鉢の中に植えられたらもうそれっきり、あとは水がくるかどうか、水をくれたら嬉しい。水があるかないかだけ、これで幸せなんですから、水があれば、一週間に一回、ちゃんと水くれたらそれで嬉しい。二週間に一回は辛いな。 犬だったら、犬の幸せは違います。水くれるだけじゃ犬は怒っちゃう。たまには、鳥の足も食べてみたいと思う。骨をガリガリ食べてみて、犬の幸せはもっと高度だんです。猫の幸せもあります。猫はコタツの中入れてくれると嬉しいとかいう幸せがあるんです。だから、人間の皆さん、どうか動物や植物のことも考えて下さい。この世に人間として生をうけることがどれだけ嬉しいことか。ですから、生まれること自体が一つの幸せなんです。これを幸せと認めて、その中の不足ばかりを嘆かないで、人間として転生輪廻の過程を与えられて、そして、今世において人間として生まれて魂修行ができるということが、どれほど楽しいことか、どれほど幸せなことか、これを考えて頂きたいんです。これが本当の意味での足ることを知るということなんです。 ですから、この感謝、人間として生まれたことへの感謝、これです。 今まで色々な例をあげてきましたが、その人々の中には、目が見えないとか、口がきけないとか、足が動かないとか、そういう人はなかったです。それで五体満足だったら人間として生まれて五体満足であるということがどれほど幸せか、どれだけの可能性を秘めているか、無限の可能性なのです。東京駅の下で浮浪者みたいになろうと思えばなることもできるし、新宿かどっか、歌舞校訂で呼び込みをやる人もあるし、或いは、高橋信次のように、お釈迦様みたいな、とは言えないけれど、まあ近かったんじゃないかと言われるような人生を生きてみるという人生もあるし。無限の可能性があるんです。 12.無限の可能性の中に足ることを知れ どの可能性をとるかは自由です。そして、人間は人間として生まれた以上、可能性という点においてみんな平等なんです。私だって長野県の佐久、ずい分貧農の生まれです。子沢山で、貧乏人の子沢山で生まれました。で、そういうところに生まれて、農家に生まれりゃあ、あなた、農業を嗣ぐのが普通ですよ。ある人は農業を嗣ぐ、ある人は工場を造ったり、ある人は会社勤めしたりする。いろんなことをする。たまたま、同じような環境に生まれても、私は天命もあったけど宗教家になりました。 こういうふうに、人間というのは生まれや門地じゃないんです。自分自身で可能性を開いていけるんです。ですから、人間として生まれたことの幸せ、五体満足であることの幸せ、こういうことを知った上で、いいですか自分は可能性が開けてるんだと、現時点で不足はあっても、自分には無限の可能性があるんだ、こういうことを知って欲しいんです。ですから、無限の可能性があるからこそ自分は幸せなんだと思うということ。これが足ることを知るという意味です。
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目次 1.愛を考える 2.理想的男女愛 3.男女愛の発展 4.人への愛と社会への愛 5.愛とユートピア (1988年4月17日の霊示) 1.愛を考える またね、私の苦手(にがて)な領域で、愛という領域ですね、これについて話をしたいと思ってます。 まあ愛とはね、本当に難しいものです。なかなかね、何千年、何万年、あるいは何億年勉強しても、愛の真髄というのはわからないですね。本当にね、愛というのは、それだけ深みがありますね。 みなさんは小学校時代、中学校時代、高校時代、大学時代、いろんな勉強されて、もちろん素晴らしい成績を修めてこられた方々ばかりだと信じていますけれども、そうした方々でも、ひとつの学問やってたら飽きがくるでしょう。やがて嫌になったりするでしょう。まあなかには学者さんみたいに、一生研究ばっかりしている人もいるけれども、たいていの人は学問ばっかりしたら嫌になってきますね。ところが、この愛ということはね、勉強しても、勉強しても飽きが来ないんです。 神様っていうのは、非常に巧妙にいろんなことを考えているもんだなあと、私はほんとにつくづくと思いますが、この愛、まさしくその通りですね。考えても、考えても、尽きることがない。愛とは何かと言ってもね、これがなかなかわからない。もちろんイエス様みたいな愛の大家もいるけれども、愛の大家をもってしてもね、人間の数だけの愛のあり方があるから、それをいちいち指導することは非常に難しい。そうではないかと私は思ってます。 ひとつの教材ですね。文部省認定じゃありませんが、神様認定の教科書があって、そしてその教科書には、開けてみるとね、扉に一言、「愛について学べ」と書いてあるんです。「愛について学べ」と書いてある。そしてその愛について学ぶ、どういうふうに学ぶかということは、なんにも書いていないんですね、なんも書いていない。ただ一言「愛について学べ」と書いてある。これについて、人類は随分長い間苦しんでもきたり、あるいは楽しんでもきたり、悩んでもきたり、喜んでもきたり、いろんなことをしてきたわけなんです。 ま、愛とは何かがわかれば、だいたいまあ地上も卒業ですよ。これがね、本当にわかったら、だいたい卒業です。愛のね、テーマはいろいろありますが、人間の間(あいだ)の愛、人間と動物たちとの愛、あるいは社会愛、人類愛、あるいは高級霊への愛、神への愛、そして神の愛としての慈悲、いろんなものがありますが、こうしたことを全部学び尽くしたら、ほんとに卒業だと思います。一度、この世界観というものを愛という観点からね、もう一度とらえ直し、再構成し直してみるとね、面白いところがいろいろ見えてくると思います。 戦争なんてのも非常に馬鹿馬鹿しいと思うけれども、あれもひとつの愛が、まだ発展中の過程なんですね。自分の村、あるいは国でも何でもいいですが、仲間を守るという愛と、相手は相手で自分の仲間を守りたいという愛、この愛と愛とがぶつかり合っているのですね。アメリカはアメリカで自分たちを守ろうとする愛があり、ソ連はソ連で自分たちを守ろうとする愛がある。この愛と愛とがぶつかり合うとどうなるかって言うと戦争になってくるんですね。 この原因はどこにあるかと言うと、愛についての、まだ発展が足りない、認識が足りない。こういうことですね。愛が小さな範囲のなかで、グルグルと回っているわけです。したがってね、こうした愛は、本格的に神の愛から見れば、まだ小さい小さい愛だと言うことができるのです。 さて、この愛を考える際に大事なポイントというかね、それについて僕はちょっと言っておきたいと思うんだな。それは、結局、こういうことなんだよな。人間の本質的な部分に非常に関係があるっていうことなんです。 たとえば、私だって一応、高級霊ということになっていますし、光の大指導霊の一人だというふうに言われているわけだけれども、じゃあ私は、たとえば読者のみなさんが「高橋先生大好きです」と言ったら、嬉しくないかっていったら嬉しいね、やっぱり嬉しい。「高橋先生の本読んでためになりました」と言われたら、やっぱり嬉しい。「高橋先生の本読んでがっかりしました」って言われたら悲しい。「高橋先生の本読んでますます尊敬しました」と言ったら嬉しい。「高橋先生の本読んでつまらん男だと思いました」って言われたらがっかりする。こういうことあるわけですね。ただこれは、単なる自己保存かというと、そうでもないんだよね、そうでもない。 なぜそうでもないと言えるかっていうと、人間の心の構造の基本的な骨組みのなかに、こうした他人からの愛を受けたいという部分があるんだなあ、ある。なぜ受けたいかと言うとね、やはりね、心というのはね、車のガソリンタンクみたいなものでね、どんどんガソリンが滅っていくんですよ。ね、車だって走っているうちにガソリン減っていくでしょう。そして時どきガソリンスタンド入って、ガソリンの補給をしなきゃいけないね。こうしたもんなんだなあ。 すなわちね、愛というのは人間として、人間が生きていくためのね、ガソリンみたいなところがあるんだよ、燃料みたいなね。これがなければ、砂漠に咲いたサボテンみたいなもので、ほんと可哀相なものなんだ。愛があるから走り続けることができるんだよ。人間は、やっぱり自分が人から愛されていると思うから、走っていくことができるし、人から大切に思われていると思うから、生き甲斐があるし、重要な人物だと思われると、しっかり働くんだよな。そうしたところがあるんだ。 だから「お金が欲しい」と言ったって、本当はお金じゃない。お金で換算されている、自分の重要感が欲しいんだよな。こういうふうにガソリンが欲しいんですよ。車と一緒で、人間というのはガソリンがなかったら走れないようになってるんだなあ。すべての人から嫌われて、それでも生きていくだけの強い人は、そんなにはいないんだよね。 つまり、愛っていうのはね、やはり人生のガソリンだという部分、薪(まき)であり、石炭であり、石油であるという部分、これを忘れちゃいけないよ。だから、もちろん人を愛するという与える愛、これがより高度な愛としてあることは、みなさんもいろいろ本を読んで学んでいるけれども、基本的にガソリンだという部分、愛はガソリンであって、これの補給が必要だということ、これを忘れてはいけない。僕はそう思うね。 2.理想的男女愛 さて、ガソリン的観点から愛を考えておりますが、「理想的な男女愛」っていうことについてもね、私から言ってみたいと思います。 まあ、「高橋信次が理想的な男女愛なんて言えるのか」ってね、「そんな資格あるのかい、君に」って言う人いるでしょう。生前の私のことを知っている人もまだだいぶ生きてますから、その辺についてはね、一言(ひとこと)言いたい方はいっぱいいるでしょう。たとえば「それほどあなたは奥さんを愛しましたか」なーんて言われると、私だってね、随分苦しいですね、返事に苦労する。 「奥さん孝行したか」というと、うーん、したような気もするけど、してないことの方が多い。十分に愛さなかった、尽くさなかった、可愛がってやらなかったっていう気持は、未(いま)だにありますね。奥さんとパンツのゴムひもは強いほどいいっていうような感じで、まあ使いでがあると言ってるような感じでね、接していたこともあったなあと思います。ま、そうした私です。 だから人様にね、「理想的男女愛」について、それほど言えるとは思いません。ただ、地上を去って十数年たった今ね、多少なりともみなさんよりも、わかる範囲も多いし、霊となった今、人間の愛というものを、もう一度こちらの世界に還(かえ)って、考え直す機会というものを与えられています。 そうした立場に立って考えてみるとね、僕はね、やっぱり男女の愛って素晴らしいもんだなあーっていう感じも、随分強くなってきました。執着という観点でとらえる見方も、もちろんひとつあるし、それにもそれなりの説得性があることは事実なんだけども、それだけじゃないね。やっぱり、それだけじゃない。やはり素晴らしい面があるよ、男女の愛にね。よくぞこんなもの創ったなーと思うところがあるね。 男同士が愛し合う、女同士が愛し合うって、なんか変ないやらしい感じがあるけど、男女がね、理想的な男女が愛し合う姿を見て、なんかいやらしい感じがあまりないんだよね。微笑(ほほえ)ましいっていう感じが随分あるね。これはね、やっぱり僕は素晴らしい神様の傑作だなあーと思うね。男女があるということ、男と女があるっていうこと、これ傑作だなあーって思うね。この愛、補完し合う生物がいるということが、そもそも神様が宇宙の仕組みとして愛というものを考えているっていうことを、痛切に感じさせるんだよね。 みなさん、夫婦が仲良いのを見て、何か文句ありますか。ま、羨(うらや)ましいっていうことはあるだろうけど、いいねえ。また若いカップルが仲いいのも、やっぱりいいですね。彼らは本能で動いているかもしれないけれども、ただ、やっぱり僕はいいなあっていう感じを受けます。 結局何がいいかって言うとね、一緒にいるだけで嬉しいっていう感覚、これがなんとも言えないですね。そういう感覚なんですね。たとえばみなさん、家のなかにヘビがいたらどうですか、いい気持しますか。お風呂のなかにワニがいたらどうでしょうか。気持がいいでしょうかねえ。あるいは、床の間にフクロウなんかいて、目ギラギラしていたらどうでしょうか。あるいは、寝室のなかに蚊が一匹飛び込んだだけで、どうでしょうか。いやでしょう。 ところが男女というのは、お互いにいるだけでいい。相手が側(そば)にいて話ができる。あるいは手を触れ合ったりね、語り合ったりできる。これが嬉しいんだなあ。こうしたことがありますね。これを見て、よくぞ創ったりと思いますね。こうした傑作ですね。神様の傑作だなあと僕は思います。 だからなんというかなあ、そこにね、僕は神のね、神様のなんていうかなあ、いちばんあったかいものを見るんだなあ。この世の中に悪があふれているとか、闘争と破壊の世界だというけど、男女が睦(むつ)み合って、互いに励まし合ったり、愛し合って生きている姿を見た時に、なんて言うか、なんとも言えないほのぼのとしたものを感じます。 ここに、神様っていうのはほんとにあったかい人なんだなあというかね、人って言ったらおかしいけれども、あったかい気持がある方だなあと思います。みなさんいろんな不幸な感覚もあるし、不幸な体験もあるかも知れないけれども、あれだけ多くの愛を生み出している、若い男女の幸せを生み出している神様っていうのは、非常に心根のあったかいところがある方だなあと、僕はそう思います。 だから理想的男女愛っていうのは、結局、一緒にいて生活しているなかに、やっぱり神様の微笑(ほほえ)みを感じさせる、神様の微笑みですね、神様が微笑みかけているような感じ、これを受けさせる男女だな。こういう男女でありなさい。お互い喧嘩(けんか)ばかりしていないで、微笑みをね、神様がニコッと笑いかけるような、そういう男女であってほしい。これが理想的だね。ま、具体的条件はいくらでもあるけど、まあそんなことはどうでもいいよ。こうした男女でありなさい。僕はそう思うよ。 3.男女愛の発展 さて、そうした男女愛だけども、仲睦まじく生きたら、それでいいのか。それだけで果たして十分なのか。それ以上に何か必要とされるものがあるんじゃないか。「愛の発展段階」なんて説くような人もいるから、男女愛だって何かの発展段階があるんじゃないか。ま、こういうことを、僕も考えてみたいと思うんだな。 男女の愛って何かなって考えると、まあ恋人の愛があって、それから夫婦愛があるよね。夫婦愛があって、そしてまあそのなかから親子の愛なんかも出てくるけれども、家族愛っていうか、家庭愛、こういうものが出てくるけれども、この男女の愛の発展があるかないかだけど、僕はあると思うんだな。 それは単に、お互いの存在を好ましいものというか、一緒にいるだけで楽しい、嬉しいっていう感覚から、やがてそれが、社会に対する責任感や義務感に変わっていくところがあるんだね。それは何かっていうと、夫婦が協力してね、一緒になって頑張っていこうっていう瞬間だな。こういうことがあるだろう。 たとえば、今、僕はこちらから、こうした神理の書を問い続けているわけだけども、これを読んで、やはり神理の縁に触れて、一緒に頑張っていこうとする神理家族というか、夫婦がいます。夫婦共に頑張ってね、この神理を広めていこう、伝道していこうと思っている姿、努力している姿を見るとね、時どきポロッと涙が出てきます。涙もろいですから、ポロッと涙が出てきてね、嬉しいね、嬉し泣きしちゃいます。夫婦でよくやってくれてるなあと思ってね、本当に嬉しいなあーと思うことがあります。 だからね、本当の男女愛っていうのは、まず最初の段階ではね、他人を排斥(はいせき)するっていう段階もあると思うんだな。他人の介入を許さない。水入らずって言うね。夫婦で水入らずで愛を確かめ合う段階があるけれども、これがある程度時期を過ぎていくと、次の段階はね、夫婦ともども、手を携(たずさ)えて社会に貢献していきたい、あるいは神様のために働きたい、こういう段階があるんじゃないかなあと僕は思います。ここまでいかなきゃ嘘ですよ、お互いにね。 1十1が2になっているだけでは、本当の男女愛としては完成した姿じゃないと思うんだね。男女が子供を産む、卵を産むように子供を産むだけでもっていいっていうんじゃない。男女愛の発展はね、やはりこれは、社会に対する大いなる還元だと僕は思います。男一人、女一人で生きていくのに比べて、男女が結合するということによって何倍も強くなるところがあると思う。 体制が固まり、磐石(ばんじゃく)になり、男はますます仕事にやりがいが出、奥さんは奥さんでね、家庭を守っていってもり立てていく。一家をもり立てていくということにね、ものすごい生き甲斐(がい)を感じる時があります。こういう時は、世の中に対して、あふれてきた力でもっていろいろと還元していくことができると思うんだな。僕はこれが大事だと思います。 すなわち、男女愛の発展には、やはり社会への還元がある。社会への還元をなんら生まないような男女っていうのは、何かそこに独占の臭(にお)いがあり、排他の臭いがあり、嫌な臭いがあると思います。やはり、純粋なる結晶、愛の結晶が、さらに次なる大きな結晶を生んでいく、人びとへの愛を生んでいく、こうでなければいけない。 本当の仲睦まじい夫婦というのは、それが存在するだけで、隣り近所や友人たちへもいい影響を与えていきます。仲睦まじく社会のために奉仕しようとしている男女は、カップルは、やがて、他の愛を生んでいきます。他の幸福を生んでいきます。僕はそれが、とても大事なことではないかと考えるのです。 4.人への愛と社会への愛 さて、こうしてみるとね、愛にも発展という概念を通して、二通りの方向性があると思うんだね。ひとつは「人への愛」だね。人への愛という面がある。もうひとつは「社会への愛」という面だな。この両方の面がある。僕はそう思います。 さて、「人への愛」、これは何かっていうとね、ま、相手、自分の片割れだね、魂の片割れへの愛もひとつだけども、それ以外に他人さんへの愛っていうのがあるね。イエス様の言うような「汝の隣人を愛せよ」「汝の隣り人を愛せよ」と、まあこういう愛があるね。ま、この愛は非常に難しいです。奥さんを愛するとか、子供を愛するというような間違いのない愛と違って、隣人を愛する、隣り人を愛するっていうのは、これはまあ非常に難しい面があるよ。難しいんですね。 変にやると他人を駄目にしてしまったり、他人の何というかね、自立心をなくすっていうこともあるんだね。この愛の難しさね。知恵をもって与えるっていうことの大事さです。じゃあ与える愛がいいからって、財布ごとみんなに配ったらいいかっていったら、そんなことないですね。それが必ずしもいいことじゃない。知恵をもって与えるということが、何にもまして大事なこととなってきますね。知恵をもって与える。これが、人への愛において、大事な観点だと思います。 知恵をもって与えることをしないと、大変な誤解を生み、人のために尽くしていると思うこと、奉仕していると思うことが、実は悲惨な結果を招くことがあります。「あんなにしてやったのに」ということですね、よく言います。「あれほど尽くしてやったのに私を裏切った」「あれはどやってやったのに感謝をしない。恩知らすだ」、こういうことはいくらでもあるんですね。 人間っていうのは基本的に、私は思うんだけれど、恩知らずですよ。基本的に恩知らずだと思っておいたらいいよ。間違いがない。自分が人にしてあげたことなんかはよく覚えているけど、してもらったことはすぐ忘れるんですよ。だけどこれはね、人間っていうのはそういう生き物だと思っておくのが間違いがないですね。だから「人への感謝がない」なんて、あまり強制してはいけないね。自分が感謝するように努力することは大事だけれども、人の感謝がないっていうこと、感謝、見返りを求めて努力することはよくないね。 だから、つまりこういうことなんだ。大事なのはね、知恵をもって与える。本当にその人の進歩にとって役に立つか。こうした面があるっていうことだね。これを人への愛ということで、特に注意してほしい。このように僕は思います。 あとね、「社会への愛」というのがあります。これは難しいですが、ここの部分で、その人のね、器(うつわ)が問われるんですね。いわゆる善良な人には自分の努力でなれるけども、社会への愛っていうのはね、単なる自分の内なる努力だけではなくて、外的なる行動力だね、これが必要ですね。社会への愛というものを体現していくためには、これを発揮していくためには、外に向けての行動力が大事です。この外に向けての行動力がなければ、社会への愛というのは実践できません。 社会への愛って何か。まあひとつにはこれは職業だね、これを通してやっていくということが大事です。どんな職業も神へ通じる道があると言われますけれども、まあ福沢諭吉かなんかも言っていたね、「この世でいちばん辛いことは、職業を持たないことだ」というようなことを言ってたと思うけども、それは確かにその通りでね。職業っていうのは金を生むかどうかっていうことはまあ別にして、やはりなんらかの世の中への貢献という道がなければ、辛いです。それは実に辛いものだと私は思います。 だから、職業のなかでいちばんいけないのは、その職業自体が人を害するような、そうした傾向のある職業だね。これだけはやはり、私はちょっと我慢がならないっていう感じがしますね。もちろん完全なる善だけの職業っていうのはないけども、いいところと悪いところと比較してね、社会を害するところの多い職業っていうのは、これは早目に転職した方がいい。まあこう思います。 だからまず、社会への愛としてはね、職業です。職業を通じて人びとを良くしていく、そういう努力が大事であろうと思います。 社会への愛の第二は一体何かというと、これは職業を離れた部分での活動だね。奉仕と言ってもいい。こうした部分だね。こうした時間を持てる人というのは、僕は実に立派だと思います。他の人びとの進歩のために、進化のために時間を持てる。こういう人びとは本当に素晴らしい。そのように思います。 これからはね、みなさん、神理の時代ですよ。でも職業だけではね、なかなか神理を織り込んでいく、盛り込んでいくっていうことは非常に困難です。けれども、職業を離れた領域において、社会に還元していく、人びとに還元していくことは可能だと思います。特に土日であるとか、普段の夜とかありますね。こうした時にしっかり神理を勉強してね、そして多くの人びとを導いていく。こういうことが大事であろうと思います。 だからね、僕の本読んだらね、ただ読みっ放しにしないで、これはいいと思ったその内容を人に教えてあげて下さいよ。僕はそう思うね。「『高橋信次の新ユートピア論』面白かったなあー」といってね。ポイッとゴミ箱に捨てたりしないで、あるいは恥ずかしがってね、本棚のなかに寝かしておかないでね、やっぱり僕はこれを広げてほしいと思いますね。多くの人に読んでほしいです。 僕がこれだけ声をふりしぼって話してる内容はね、できるだけ多くの人に、一人でも多くの人に、神理を知ってほしい、読んでほしい、一行でも多くの神理を語りたい、こうした気持が僕の心のなかにあります。だからこそ、この本で何冊目になりましょうか、九冊目になるかと思いますけれども、これだけ矢継早(やつぎばや)に本を出してるんですね。これは、私の愛ですよ。人びとへの愛、社会への愛、残された人類への愛です。それゆえに私はやっています。 こうして霊言を出すことによって、私は得ることはないんです。私がお金を儲けることもなければ、あなた方が称賛しても、それを直接私がみなさんの前で表彰されるというようなこともありません。ただ縁の下の力持ちとして、私はみなさんになんらかの愛を与えたい。こういう愛もあるんですね。これも社会への愛だと思います。 こうした社会への愛の発展形態として、やはり「神への愛」があると思う。神への愛というのがあるけれども、これは神への愛というものが純粋にあるかといったら、そうじゃない。やっぱり人への愛と社会への愛、この二つの両輪だな、両輪を通して神への愛というものがある。ま、僕はそう思います。だから、そうした考え方を大事にしていただきたいと思います。 5.愛とユートピア さて、愛についていろいろ語ったわけだけれども、「愛とユートピア」という命題だね、これについても語っておきたいと思います。愛は、ユートピアづくりに不可欠かどうかという考え方です。ま、結論から言えば、僕は要ると思うね。ユートピアに愛は必要、そのように感じます。 結局ね、ユートピアっていうのは、ひとつの立体的な建造物だと僕は思うんだね。立体的な建造物だと思う。で、愛っていうのが何かっていうとね、愛っていうのは、やっぱりセメントだね。セメントであって、ま、レンガとレンガをくっつけたりね、鉄柱と他の材木をくっつけたり、いろんなことするけど、まあ、セメントあるいは壁土みたいなね、そういうふうにいろんなものをくっつけていくもんだなあ。これが愛じゃないかねえ、僕はそう思うよ。もちろん釘であったりすることもあるだろうし、綱や縄であったりするようなこともあるだろうけども、こういうふうに結び付けていく力が、これが愛だね。 ユートピアっていうのは、ひとつの建造物ですよ。社会的な建造物だ。そうした大きな建造物だと思うんだな。あるいは知的生産物と言ってもいい。あるいは人間の行動による生産物といってもいい。それがユートピアであると思うんだね。ユートピアは結果だな、結果。そしてユートピアを生むための、人と人との力を結合させるためのもの、それが愛じゃないかと思うね。 結局ね、他の人を良きものと思い、もっと素晴らしくなってほしいと思う情熱、エネルギーがなければ、社会は良くなることはないんだ。そうした情熱がなければ、私たちが霊示集送ることもない。そんな意味もないし、それを読んで、熱意に燃えて人びとに伝道する意味もないことになる。ユートピアをつくるためには、やはり、多くの人たちのために尽くしたいという愛、これがあるし、こうした仕事に終わりというものは決してないと思う。神の心も、すべての人が幸せになってほしいという心だし、高級霊たちの心もまったく同じであり、できるだけ一人でも多くの人を、本当の意味で立ち直らしたい、素晴らしくしたい。こうした気持で生きています。これが神の心です。 したがってね、人間も小さな神、あるいは神のひとり子ではないけれども、神の分身として、あるいは神の子として生きているわけだから、ユートピアづくりのために、やはり愛というものを武器としてね、あるいは愛というものをかすがいとして、力強く立ち直っていく、立ち上がっていく必要があると思う。 どうだろうかねえ、愛と言ったら、結婚式のことばっかり考えている人がほとんどじゃないかね。僕はそれじゃいかんと思うよ。結婚式の時を離れた愛、新婚旅行の時期を離れた愛というのが、どうしても大事だ。そうした時に、醒(さ)めた時に、醒めた理性の目でもって、愛を実践できるようなみなさんであるかどうか。 愛というのはね、何かってわからなきゃ、それは優しい心だよ、一言(ひとこと)で言って。わかるかい、優しい心だよ。それが愛だよ。優しい心、ね。他人のことを深く思ってやる心。よくしてあげたいと思う心、ね。優しさですよ、愛っていうのはね、みなさん。一言で言ったら優しさだ。この優しさなくしては、ユートピアはないんだ。ユートピアっていうのはゴツゴツしたもんじゃないんだよ。優しいもんなんだよ。羊の皮のようなね、優しい手ざわり、これがユートピアなんだね。 だからいいかい、愛っていうのは優しい心だよ、真心だよ。これを愛というんだ、ね。その愛の心をもって、ユートピアづくりに励みたい。まあ私もそう思っているし、みんなもそう思っているだろう、ね。そうしたことを起点として、出発点として、さらにユートピアの思想について話をしていきたいと思います。
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目次 1.開眼 2.自覚 3.決意 4.不退転 5.断行 6.成果 (1987年10月30日の神示) 1.開眼 本章においては、いかにして人間が自らの運命を開拓していくべきか、いかにして運命を拓くか、こうしたことに主眼を置いて話をしてゆきたいと思う。 そこでまず、運命というものの成り立ちを知らないわけにはいかないであろう。まず、運命とは一体何であるか。人びとは自らの運命について多く語ることがあり、また運命について語りたる書物を数多く探すこともある。 けれども、運命そのものの仕組み、そして、それが定まりたるものであるや否や、こうしたことに関して、ついにその本当の姿を知らないままに、一生を送ることが多いわけである。 ここでまず、運命とは何かということに関して、実在界の観点から一つの検討をしてみたいと思う。 まず第一に、運命とはすでに決まりたるものであって、後天的に変ええないものであるのかどうか、こうした検討がなされるべきであろう。その時に問題となるのは、運命が運命としてすでに決まりたるものであって、地上に肉体を持って出る前に決定づけられておるものであるならば、なにゆえにその自らの人生に対して、責任をとるということが可能であろうかということだ。 すべて決まりきったコースを歩んで、その結果その人が実在界のどこに還るかまで決まっておるならば、これははなはだしく地上生活の自主性というものを阻害する考えといわざるをえないであろう。 しかし、この対極の考えがあることも事実である。それは一体何かというと、運命がそれほど不確定なものなら、何ゆえに予言、予知ということが可能であるのかということだ。多くの霊能者、あるいは歴代の予言者たちは、未来のことを予言しておるはずである。過去の人物である彼らが、未来に起こるべきことを予言できるということは、その時点において、未来に起こるべきことがすでに決まっていたといえるのだろうか。ここが重要な眼目となる。 たとえばノストラダムスという、今から五百年ほど前のフランス人が、人類の二千年までの歴史を予言したという。では五百年前において現代が見えるということは、現代のさまざまな事件がすでに決まっておったのかどうかということになる。 これは実は、こうした観点から考えてゆけばよいのです。人間の歴史、あるいは時代の流れというものは、たとえて言えば川のようなものなのです。それは、上流の谷川から源を発して、そして流れ下って中流へと入り、河ロ付近に近づき、やがて大海へと流れてゆくのである。 この予言者という存在は一体何かというと、山の頂きに立ちて川の流れを見、この川の蛇行(だこう)の姿、流れてゆく姿、行方(ゆくえ)というものを展望して、そしてこれから流れてゆこうとするもの、すなわち、これは何でもよい、舟人(ふなびと)でもよいカヌーに乗るものでもよい、何の舟に乗るものでもよい。こうした舟人に対し、「この川はこのように流れておるから、お前は今から一時間後には、こうした曲がり角にさしかかるであろう。そしてその後、浅瀬が見える。浅瀬を通り過ぎたのちに、また深い、深い深いよどみの中を流れてゆく川である。そしてまた中流にいけば、緑の中を通り抜け、薮(やぶ)の中を通り抜け、動物たちが戯(たわむ)れている所を通り抜け、そしてまた、多くの住宅が建ち並んでいるところを通り抜け、河ロ付近になれば工場地帯を通り抜け、そして海にと達する。そしてこの海は、こういう海である。」 こういうことを、予言者という人は言っておるのだ。 それは、これから川の源(みなもと)において船旅をしようとしておる人間にとっては、まるで信じられない話であって、「そうしたことがすでに決まっておるのであろうか」そういう大いなる驚きを感ずる。 ところが実際に川下りを始めてみると、一時間ぐらいすると、予言者の言ったとおりに川の流れが右に変わり、またやがて浅瀬にかかり、また深い淵を通っていくことになる。「彼らはすべて見通しておったのだ」。こういふうに、感じてしまうということである。 ただ、ここには問題があるということだ。それは、川には流れがあり、そしてそれを漕(こ)いでゆく舟、舟人(ふなびと)の努力というものがあるということだ。舟はいつ座礁(ざしょう)するともしれない。いつ転覆するかもしれない。いつ岸に流れ着くかもしれぬ。こうしたことがあるし、また舟人が下ることをやめるかもしれぬ。こうした問題があるのだ。 ただ、「そのまま流れていけば、こうした川の流れとなっている」ということを説明することはできるが、実際にその舟人が川を下っていく時に、どのような漕ぎ方をし、どのような航路をとっていくかということに関しては、予言者は無力なのである。 こうした比喩(ひゆ)でもって、運命というものを感じとってほしい。 すなわち予言者にしても、その舟人が川下りをしていく途中において、舟が転覆するところまでは予知はしていないのである。ただ、急流があり浅瀬があるというところは見通しておるがために、そこにそうした危険があると言うことはできる。 また川を下っていく途中において、風が吹いたり雨が降ったり、カラカラに日照りになることもあるであろう。そうした不確定要素もあるということだ。 予言者は、単に川の流れということだけを見通すことができる。 こういうことであって、先ゆきの川の流れが見えておるということは、すでにその舟人が川を下り終えたということとイコールにはならないということだ。これを知らねばならぬ。 すべて予言というものは、このようなものである。したがって、平均的な舟人ならこういうコースを辿(たど)るであろうということは予見することができるが、それを断定することはできない。このへんが、運命と予知の問題として言えるであろう。 こうした問題を前提にして考えてみると、我らの人生も地上にあっては、やはりいくつかの方途、流れていく道筋というものはある程度決まっているということは言えるであろう。 しかしながら、その道筋をどのように努力して流れて行くかということ、舟を漕いでいくかということに関しては、地上生命の主体性に任されていると言うことができるであろう。 これが運命と予知、あるいは人生というものの仕組みを解く鍵なのである。 すなわち、現在では地獄に堕ちる人間も数多いと聞いておるが、地獄に堕ちることを予定しておるかということをいえば、必ずしもそうではない。しかし、堕ちることもありうるということは予想はしておると言うことはできる。 これは、川下りのなかにおいて、危険な滝、あるいは浅瀬、急流において、舟が転覆するやもしれぬという予見はある。ただ、船出をする人にとっては予見はできるが、実際に自分が転覆するとは思ってはいない。こういう問題だ。危険な急流があることは知っておる。したがって、舟を出す前にそうしたことを一応聞いておって、あの急流、この急流に危険があるということは知っておる。だから転覆する危険というものは感じておるが、何とか乗り切れると思って地上に出てきておるのである。 しかし、結果的には乗り切ることができずに転覆する者もおる。乗り切って無事に行く者もおる。いろんなかたちがあるということだ。 こうした運命の仕組みということを考えたときに、我らはまず開眼せねばならぬことがある。それは、その川を選んだのは自分自身であるということである。そうした危険もいろいろあったということは、知っておったはずである。しかし、それを乗り切ることができると予見して、船出をした自分であるということだ。さすれば、地上の人生において、いかなる困難が降りかかってきたとしても、それを外部的なものとしてはならない。外部に責任を帰してはならない。自らそれを歓迎しなければならない。そうした運命というのを乗り切っていけると思って、地上に出ておるということを知らねばならぬ。 これが、運命開拓のための、開眼の第一点であろうかと思う。 2.自覚 さてそれでは、運命を開拓していくということ、これに関してさらに話をすすめてゆきたいと思う。 それはまず、運命というものの成り立ちを、第一節において話をしたけれども、運命がそうしたものであるということを知ったならば、その自らの運命の川を流れ下っていくのだという勇気をもって流れ下ってゆく、この自覚だ。これが大事だということだ。 そして、その自覚の内容には、なにゆえに自分はこのような運命の川を下ってゆくのかという認識がなければならないであろう。 なにゆえに、一体なにゆえに川を下るのか。 決してそれは、遊び心で川下りをしておるのではないのである。川下りというものは、ひじょうに命懸(いのちが)けである。命を賭(と)してやっておるのである。 命を賭して川下りをして得られるものは、一体何であろうか。 それは、ひとつには、新たなる経験の獲得ということであろうと思う。いくら川の写真を見たところで、そのパノラマを見たところで、望遠鏡で遠くから眺めたところで、実際にその川下りということを体験しないでは、その旅の醍醐味(だいごみ)というものを味わうことはできないはずである。そして、経験したるものこそが、魂にとって糧(かて)となってゆくのである。 したがって、運命の川を下りおりてゆくその本当の理由は、新たなる経験の獲得ということ、これが第一である。何もしない者には何も与えられないのだ。経験によって人は与えられる。多くのものを獲得するのだ。これを知らねばならぬ。魂が大きく生長してゆくためには、さまざまな経験が必要なのである。経験こそが、魂の糧なのである。こうした自覚というのが何にもまして大事であると思う。 自覚の第二、これは結局のところ、経験というものを獲得する過程において、また魂が光るということ。強くなるということ。鍛えられるということ。これである。 すなわち、単なる経験ではないということだ。そうしたスリルに富んだ旅をすることによって、魂の足腰が鍛えられ、そして底光りし、強くなってくるのである。 人間は、一度苦難というものを通り越したときに、そこに自信が出てくるのだ。本当の自信。何にもひるまない勇気と自信が湧いてくるのである。そのためには、どうしてもその困難というものを通り抜けてゆかねばならぬ。自らの力によって、漕ぎきってゆかねばならぬのである。そういうことを知らねばいかんと思う。 この運命の川を下ってゆくときに、大切な心構えというものがある。それが一体何であるかというと、決して弱音を吐いてはならんということであろうと思う。 この旅は、自らが計画して始めた旅であり、自らがその過程において魂の悦びと、魂の糧を得るために始めた旅であるならば、決して弱音は吐いてはならぬということだ。これを人びとは知らねばならぬ。こうした自覚が、何にもまして大事であろうと思う。 そして、その川を下るということを決めたのは、他(ほか)ならぬ自分自身であるということ。これも知らなければいけない。こうした自覚、他人のせいではなく自分で選んで、この川を下っておるということ。これを自覚せねばいけない。 ただ、単なる自力のみではないということもまた、知らねばならんと思う。川のところどころにおいては、案内係というのが立っておることも事実であります。これから急流になるところには、必ず案内係が立っておって、「これから先はきびしい」ということを言っておる。また、急に浅瀬にかかるところでは、「浅瀬に近づく」ということを言う。急に曲がっていくときには、「これから曲がるぞ」と言う案内係が立っておるのである。それを知らねばならんと思う。 そうした大いなるものが、人びとの行く手を導かんとして立っておるということを知らねばならぬ。それを、自分の舟の運転ばかりに気をとられて、そうした人たちが立っておって、声をかけておるということを知らないでは、それは釈明はつかないことである。それでもっては、許されないのである。そうした案内係がちゃんとついておるのだから、人の教えはちゃんと守って舟を漕いでゆかねばならぬ。「自分が、自分が」という思いで、自分のみにとらわれていってはならぬ。 また、川下りをするのは自分であるけれども、自分以外の舟というものも、また流れておることも事実。先人たちの跡をついていく。ひたすらについていくという努力も必要である。 たとえば死というものは、生きておる人間はだれも経験をしたことがない。そして自分が死ぬということは、みんな怖(こわ)い。ただその、みんな怖い死というものを、次つぎに体験させられておるのである。 これは結局、人生の運命において、二ヵ所の大きな滝があるようなものである。最初の滝というのは、実在界から地上界に生まれてくるときの滝である。これはナイヤガラの滝のように百メートル、二百メートルの落差をもって落ちてゆくようなものだ。実在界から地上に落ちてゆくということは、降りてゆくということは、それだけの大いなる覚悟、これがいるのである。それだけの大いなる危険、これを伴うのである。こうした滝、だれもまだその感覚がわからないところに、すべての人が順番に落ちてゆくのである。 そしてまた、この川の旅を終わるときに、大きな滝に見舞われるのである。そして、それを超えたときに、死というものを通して、初めてあの世の生活というものを体験するようになるのだ。 こうした事実、大きな二つの関門があるということ。生まれるということ、死ぬということ、こうした二つの関門をすべての人が通らねばならんということ。この事実に対して、大いなる自覚を持たねばいかんであろう。 3.決意 自覚のことについては、すでに述べたとおりである。 さらに、次に大事なことは、決意ということだと思う。 確かに、人生の途上においては、心ゆらぐことが必ずある。そして、行く手をはばむものが、立ちはだかるように見えることもある。自らを害さんとしているように見えることがある。敵として現れるように見えることもある。 しかし、決してそうしたもの、見せかけにとらわれてはならんのである。見せかけにとらわれて、そして敵を敵として闘っておったのでは、自らの苦難というものは、増すことはあっても減ることはないのである。 ここで大いなる決意が、私は必要であろうと思う。我は今、運命の川を下らんとしておるのである。そしてこれは、我が仕事であり、我が使命でもあるのだ。 さすれば、その途上において、なにゆえに我を塞(せ)き止めんとするものが現れる必要があるであろうか。そうした必要がある積極的なるものはないはずである。決してない。 なぜなら、この旅は、神によって許可された旅であるからです。神によって認められた旅であるからです。 さすれば、諸君は、ここでひとつ大いなる決意をしなければならんと思う。それは、神の子には、不可能はないということだ。神の子には、困難はないということだ。神の子には、苦難はないということだ。神の子には、挫折はないということだ。こうしたことをしっかりと、心に刻んでおく必要がある。 自らの人生といっても、それは殻(から)を被(かぶ)った自我の人生ではないのである。自らの人生といっても、それは、神の子が、一人ひとり岐(わか)れて川下りをする姿なのである。自らもまた神の子なのである。神の子が、神の自己実現をせんとしておるのである。 しかるに、いかなる困難がそこにありえようか。いかなる邪魔ものが現れようか。邪魔ものと見えしは、これは目の錯覚であろう。こう思わねばならぬ。 それはそうである。川を下っておって、岸辺に立つ案内人がおって、「これから先には、こういう川の流れになっておるよ」と、手を振って言っておるのを見ても、自らの心が被害妄想の心であれば、彼が手を振る姿が、すなわち、彼があなた方に石を投げようとしておるか、弓を射ようとしておる姿に見えないとは限らない。あるいは疑ってかかるならば、彼らが言っている言葉は罠(わな)であって、全くその逆ではないのかと疑ってかかったならば、人間の心に永遠に、救われる安らぎというものはないということだ。 したがって、まず我われは、いや、少なくとも地上にある諸君は、自らが神の子であり、神の子としての自己実現をなさんとする決意をする必要がある。 「我がなさんとすることは、すなわちこれ、神の子がなさんとするのである。神の子がなさんとすることは、すなわちこれ、神がなさんと欲することなり。さすれば、我が念い、実現せざることなかれ。さすれば、我が念い、通らざることなかれ。さすれば、我が邪魔だてをするもの無し」 こうした強い強い決意を持たねばいけない。 特に、「困難など無い」という信念でもって、あたってゆかねばならん。道を切り拓いてゆかねばならぬ。 その時に、困難と見えしものは、目の錯覚であったということを、諸君は知るのだ。目の前に大きな岸壁が、立ちはだかったと思うけれども、実はそれは目の錯覚であって、川面をゆらゆらと揺れておる陽炎であったり、川霧にしかすぎないのだ。 それを、岩の塊だと思ったり、行き止まりだと思ったり、滝だと思ったり錯覚するけれども、実際はそうしたものではない。 諸君は、あらゆるものの中に善意を発見せよ。あらゆる人の心の中に、善意を発見せよ。世の中は善きものしかないと思え。善きもののみが、世の中を創る実在であると思え。善きもののみが創った世界であるならば、何らの苦難、困難があると思うな。それがあるように見えておるのは、自分の目の錯覚であるのだ。彼らはみな、諸君を祝福せんがために集い来る人たちなのである。 たとい、彼らが残忍な手段や、また、皮肉な攻撃方法でもって、諸君をいじめたりまた、困らしたりしているように見えることがあっても、それはそうではないのだ。それは本当は、観世音菩薩が、諸君らに本当の悦びを与えるために、方便としてそうしたことを、させておるのだということを知らねばならぬ。 やがて、諸君らの敵と見えしものは、川下りが終わって陸に上がってみると、なつかしい顔をして、諸君らを迎え入れてくれる友達なのである。 「あの時は、君の勇気を試すために、ああいうことをしたんだよ。あの時には君の胆力をつけるために、ああいうことをしたんだよ。あの時には君に勇気をそして信念を、確信を、信仰を得てもらうために、ああいうことをしたんだよ」 彼らは口ぐちにそう語るのである。 結局、世の苦難・困難といわれるものは、諸君らの信仰心を強めるために、方便として与えられているものだけであって、本当に諸君らを害せんとしてあるものではないということを知らねばいけない。それらは諸君が、どれだけ神を愛することができるか、どれだけ神を信ずることができるかということを試すための方便であり、試練でもあるということだ。これを知らねばいけない。 さすれば、善一元の世界を信ぜよ。さすれば、人々の良心を信ぜよ。さすれば、環境が良くなっていくことを信ぜよ。そうした中において、本当の人間の生きるべき道というのが、見つかってゆくであろう。 4.不退転 さて、諸君はいよいよ、神の子として自己実現をしてゆく決意というのができたとみえる。そして、自分のまわりに展開するいろいろな事象、事柄、また次つぎと現われてくる人びとが、決して諸君に害意を持ったり、悪意を持った人たちではないということを知った。そして彼らもまた、幸せに生きんとしておる人びとであるということを知った。この世に善人、悪人があるのではなく、みんな善人だと思っておるけれども、相互の無理解、不理解が、そうした善人、悪人という考えを生むものであるということを知った。本当の人間の本質は、善悪というような、そうした相対的なものではなくて、実質は善一元であるということを知った。そして、相互に相手を理解するということが、何にもまして大事であるということを知った。 こうした、根本的なる理解をして、さらに先なることを考えていこうと思う。 ここで私は、ひとつの大切なアドバイスについて語っておきたいと思う。それは、人生は今言ったように、運命の大河を下ってゆくことであるけれども、その過程において、諸君らは、大いなる目標を持たねばならんと思う。偉大なる理想を持たねばならんと思う。 そうした大きな理想の無い旅は、不毛の旅である。諸君らがここから得るものも少ないであろう。大いなる理想を持てば持つほど、諸君らの魂が獲得する糧もまた、大きいのである。こうしたことを信じなければいけない。 人生の中において、退かんとして退かず、一歩も譲らず前進のみ続けるという気持ち、こうした不退転の気持ちが生ずる背景には、まず高邁(こうまい)な理想があるということを知らねばいけない。理想なき者は、容易に挫折するのである。 しかし、理想ある者は、挫折すると見えしことがあっても、再び起きあがり、立ち上がり、挑戦をしていくのである。 人生は不断の挑戦である。不断のチャレンジである。 起上小法師(おきあがりこぼし)のように、七転び八起きというのが、本当の人生の姿であるのである。七転び八起きをしていく背景には、それはやはり、強い強い願い、希望、高邁な理想、高い高い目標、これがどうしても必要なのだ。第一段階として、どうしても高い理想の設定、これが必要である。 諸君らは、これ以上大きな理想はないというような理想でもよいのだ。そうした理想を持ちなさい。自分を自己限定してはならない。また、断じて自己否定してはならん。 自分はつまらんものであるとか、自分はくだらん人間であるとか、自分の劣等感を助長するような言葉を、断じて発してはならん。 諸君らは神の子であるのだから、神の子は偉大なのである。偉大な神の子が、偉大な目標に向かって邁進してゆくのである。そうした自覚というものを、決して忘れてはならぬ。 自分は学歴が足りないとか、自分は肉体が貧弱であるとか、自分は片親であるとか、自分は病弱であるとか、自分は世の人びとに認められないであるとか、自分は話が下手であるとか、自分は頭の回転が悪いであるとか、自分は目が悪いであるとか、自分は意志が弱いであるとか、自分は根気がないとか、こうしたこと、否定的な言葉を出して、自己卑下するのはやめなさい。そうした否定的な言葉でもって、自己弁護するのはやめなさい。 こうした自己弁護でもっては、決して道は開けないのだということを知れ。自己弁護を捨て去ったときに、初めて道は開けるのである。 そうした弱い自分を肯定するな。弁護しなければならんような、そうしたそうした弱い弱い自分というものを肯定してはいけない。 自分はもっと強いものだと知れ。そしてたとえ今、人びとに認められなくとも、やがて時間を経て、自分は認められていくのだということを知れ。 それは、ちょうどあのウナギという魚が、どれほどつかもう、つかもうとしても、手の間からスルリと抜けていくのに近い。そうした話だ。 どんな悪しき運命が諸君をとらえようとしても、諸君は、そのなかからスルリと抜けていくようなウナギのような存在であれ。どんな困難があっても、それをくぐり抜けていくという自覚を待て。 川の水だってそうではないか。ある時は大洪水のような氾濫(はんらん)となり、ある時は枯れた砂地の上を流れることができず、深く地下水として潜(もぐ)り、また伏流水となり、また湧き水となって出てき、そして天に昇り、雲となって雨を降らし、また川をつくってゆく。水は自由自在、融通無礙(ゆうずうむげ)に自らの運命を開拓しておるではないか。 しかし、諸君らは、この水の生命以上に偉大な生命ではないか。偉大なる自由意志を与えられた生命ではないか。 さすれば、どんな堰(せき)があってもそれを乗り越えてゆくような水であれ。どんな砂地にあっても地下を潜ってゆくような水であれ。どんなことがあっても空中に舞い上がってゆくような水であれ。そうした自由自在の諸君であれ。固定観念でもって自分を縛るな。自分はこんなものであるとか、自分の成功はこの程度であるとか、こうしたことでもって縛るな。 自分は自由自在に大空を飛びまわれる存在だということを知れ。いくら偉大なる夢を抱いても、それで十分ということはないのだ。 諸君はその夢に、限りなく近づいてゆかねばならん。そういう大きな夢を持っていくということ、これが何にもまして大事である。 まず、不退転の原理としては、夢を抱く、理想を抱く、そして理想の実現のために、常に目標に近づくという、不断の努力を忘れないということ。日々の努力を忘れんということ。 どんな悪しき運命があろうとも、それからスルリと抜け出していって、自由自在に生きてゆく。そういう諸君であれ。 不退転という言葉は、退かずという意味である。諸君は、常に直進せねばいかんものではない。人生には曲がり角もあるであろう。地下を潜ったり、空を飛んだりしなければならんこともあるであろう。要するに諸君は、前進あるのみの人生を送っておるのだ。 不退転は退かずと言う。退く必要はない。新たな道を開拓せよ。新たな道を開拓して、その道をまっすぐに進め。そのなかに、諸君らの本当の幸せというものがあるのだ。 この道しかないとは思うな。自分にこの道しか自己実現の機会はないと思うな。 今のアメリカの大統領(レーガン元大統領)であってもそうであろう。彼はハリウッドの二流の役者にしかすぎなかったのではないか。しかしこの役者は、役者としては二流であったかもしれないけれども、心のなかには偉大なる大統領というイメージを描いておったのではないのか。彼は、本業の役者のほうでは、十分に活躍はできなかったが、心のなかに描いておったイメージには忠実に、やがて大統領を演じておるのではないのか。 さすれば諸君よ、まず心のなかに描くことから始まるということを知れ。そして、その大きな目標に向かって邁進していく自分を知れ。 決して退かず、あらゆる困難に対して退かず、自分はどのような手段を使ってでも、どのような方法を使ってでも、この困難を乗り越えてゆく、そうした力強い自分であれ。 海辺の、あの打ち寄せる大波を、どうしてそれを堰(せき)射止めることができるであろうか。防波堤を造っても、その防波堤を乗り越えて来る波があるではないか。波でさえ、あれだけの力を持っておるではないか。 諸君は、もっともっと偉大なる神の子であり、神の生命である。もっともっと力強く、あらゆる防波堤を乗り越えてゆかねばならぬ。そうしたことを、肝(きも)に銘じなさい。 5.断行 さて、不退転ということに関して話をしてきたが、さらに次なる境地について、話をしようと思う。 これは、断じて行なうということだ。単に退かずというだけではいけない。断じて行なうべき時には行なう、という強い決意。これが大事だ。 人間は決して、優柔不断であってはよくない。日和見主義者(ひよりみしゅぎしゃ)であってはいけないのだ。 決断すべき時には決断し、実行する時には実行しなければいけない。これを断行という。 運命の女神には、前髪のみあって、後ろ髪がないというではないか。運命は、チャンスが巡ってきた時に、それを両手でもって掴(つか)みとらなければ、すり抜けて行くと言うではないか。 さすれば諸君よ、自らの今立たされている現状というものをよく知れ。そして、今が時ならば、今立つ以外にないということを知れ。今が行動の時ならば、今行動する以外にないということを知れ。今断行する以外にないということを知れ。 人生の中には、時を待たねばならんというときもあるであろう。心の傷が癒えるのを待たねばならんというときもあるであろう。 しかしながら、いつもいつもそうであってはならんのだ。川の水が、ゆったりとながれている時があるけれども、いざせせらぎとなり、滝となったときに、ものすごい莫大なエネルギーとなって流れ落ちていくように、諸君らも平時は、平静に平静に流れていってもよいけれども、いざ、ここ一番という時になったら、底力を振り絞らなければいけないのだ。「あれだけの力があの人にはあったのか」と言われるような、そうした大いなる底力というものを発揮しなければいけない。 人生には、そういう時があるのだ。人生には何度も、断行せねばならんということがある。断行せねばならん時には、判断が迷う時である。 右にすべきか、左にすべきか、人生は常に選択と選択の積み重ねだ、と言った人もいる。確かにその通りだ。人生のいたるところで選択はある。その時に、決定をせねばいかんのは、他ならぬ自分自身である。 この時に、諸君は心を澄まして神の声を聴け。自らの心を澄まし、精神を統一し、呼吸を整えて、自らの心の中に、邪心がないかどうか、邪(よこしま)な心はないかどうか。自分だけに都合のいい心はないかどうか。自分の決めんとしていることが、、単に自分に幸せなだけではなく、人々の幸せにもつながるものであるかどうか。自分のなさんとしていることが、神の心にもかなうものであるかどうか。 こうしたことを、諸君は心に問え。そして自らの内なる心から、自らの内なる神から、「そうだ、その道でよいのだ。断じて行え」という声」が響き渡ってきたならば、もう諸君は迷ってはならん。断じて行わねばならぬ。断じて行なわねばならぬ。あとをふり返ってはならぬ。自分が渡ったあとに、その橋を焼き去れ。自分が上陸したあと、その舟を焼き去れ。そして、諸君は前進のみあるのだ。 本当にその道が神の意(い)に適(かな)うことであり、本当の意味で、究極的に人びとを幸せにする道であると思うならば、あらゆる困難を排して断行せよ。 たとえば、このような私たちの霊言集、霊示集というものを、諸君らは世に問おうとしておる。 しかし、こうしたときにまた、これを認めない、邪魔だてする者も出てくるであろう。また、あまりにも内容がすばらしいので、嫉妬をする人も出てくるかもしれない。 しかし、彼らの中傷を気にし、彼らの言葉に怯(おび)えたり、ためらったり、そういうことをしては断じてならない。自分の心にのみ問え。自分の心に問うて、これがまちがっていないことであるならば、これが本当に神の心に適うことであるというならば、この世的なる一切の悪意を排除して、断行せよ。断じて行なえ。断じて書物を出し、断じて世に広げてゆきなさい。躊躇(ちゅうちょ)してはならん。世間の常識に迎合してはならん。世間の人びとの声に妥協してはならん。断じて断行せねばならん時はあるのである。 世間の人びとが認めるようになってから、それを広げようとか、世間の人びとに、何も害しないという約束事をぶつけてから、こうした神理を広めようとか、こうしたことを考えてはならん。そうした卑怯者であっては、断じてならん。 自らの心に問うて、まちがいのない道でると思うなら、断断固として、実践せねばならん。 諸君は今、ふり返ってみよ。世の偉人といわれる人たちの数かずが、どれだけ多くの困難にあったか、どれだけ多くの人びとの嘲笑にあったかということを知れ。 しかし、嘲笑にあったとしても、自らが信じるものを真一文字に歩いた者が、それが偉人といわれる人たちではないのか。嘲笑にあって、そして断念した者を、人は偉人とは呼ばない。そうではないであろうか。 地球が、太陽のまわりを回転するなどということを、一体誰が考えたであろうか。そんな常識破りなことを、断断固として主張した学者があった。自分の良心にかけて、主張した学者があった。 世の人々は笑った。「地球が回転しておって、そして太陽の周りを回っておるならば、我らは生活が出来るわけもがない。地球の裏側におる人間は、落ちてしまうであろう。」そして、笑った。「現に見なさい。地球は全然動いておらんではないか。大地は動いておらんではないか。太陽が東から登り西に沈んでおるのではないか。星がまた回転しておるのではないか」そういうふうに、人々は考えた。 しかし、これは常識の方が間違っておったのだ。 霊的な世界についてもそうだ。世の人々はそれを信ずることができない。「目に見えず、耳に聞こえないものを、どうして信ずることができるか」そして、嘲笑することがあるだろう。そして、それを証明できねば、「そんなことをするのはナンセンスだ」と言うような人もいるかも知れぬ。 しかし諸君は、そうした声に惑わされてはならん。その声に惑わされて、そして心弛(ゆる)んではならん。そんなことでもっては、後世に大きな業績というものを残すことは決してできぬ。決して偉人の仲間入りはできんということを知れ。 世の常識が間違っておるならば、この常識を打ち砕いていくだけの、それだけの勇気を心にもたねばならん。断じて行うということ、いろんな危険があっても断じて行うということ。この勇気を、最後は、世の人々は認めて、称賛するに至るのだ。ところが、卑怯者はその途中で引き返していく。こうした卑怯者に対しては、世の人々は称賛はしない。 しかし、彼らの声に耳傾けず、地球の果てまで行ってでも本物を探検した人に対しては、彼らはのちの世に、大いなる称賛をもって迎えられるのだ。世の人びとはそんなものである。 時代の最先端を行っておる人間は、とかく様々な困難、苦難、あるいは、人びとの失笑や嘲笑にあざ笑われることが多いのである。ただ、それに負けてはならぬ。断じて負けてはならぬのだ。 そうしたこと、勇気をもって、断じて行なうということ。これを忘れてはならぬ。それが何よりも大切なことであろうと思う。
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目次 1.女性の幸せ 2.魅力的な女性 3.女性のこの世での役割 4.最善を尽くす人生 5.この世の愉しみ 6.人生の勝利の時 7.人生の真昼に 8.生命終わる時 9.極楽往生と念仏 10.地上の記憶 9.極楽往生と念仏(1986年7月28日の霊訓) さて、本日は「極楽往生と念仏」についてお話ししたいと思います。念仏というとすぐ思い浮かべるのが、法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)ですね。詳しくいえば、空也(くうや)上人、法然、親鸞、一遍(いっぺん)上人などがいます。 あなた方現代人にとって、鎌倉仏教の知識がどの程度かは存じませんが、一つの一連の念仏行者たちは、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えることによって極楽浄土に往生できると説いたとされています。しかも、他の知識による悟りなど不要で、ただひたすらに阿弥陀仏にお願いすることをもって、すべてとしてました。 小桜は、「神霊界入門」のつもりで、この本を書いておりますから、この他力門、念仏信仰についても、意見を述べておかねばなりません。 さて現代で、仏教を学ぼうとする者で、「南無阿弥陀仏」を唱えることをもって了とする人はひじょうにまれでしょう。そのなぜまれなのかをお話ししたいと思います。 鎌倉時代は、釈迦の死後千五百年たったころで、ちょうど、正法(しょうほう)の時代、像法(ぞうほう)の時代(注・教えが形式化して中身がなくなる時代)を経(へ)て、末法(まっぽう)の時代となり、世の中は乱れ、釈迦の教えはまったく伝わらなくなるとされていました。このような時代ですから、ちょうど人びとは地上では生きる望みを失い、せめて、あの世だけでも地獄の苦しみから逃れたいと願っておりました。 こんな時代ですから、道元が説いたような禅のような、知的な悟りは、当時のエリート階級である武士階級には歓迎されたものの、庶民はとても、座禅のようなひまなことはやってもおられず、難しい哲学的理論をきいてもさっぱりわからないといった状態でした。 こうした庶民を救おうとする深い愛の気持ちから広まったのが、浄土宗、浄土真宗、一遍の時宗(じしゅう)などです。 確かに今のあなた方が感じるとおり、何万回念仏を唱えたところで、死後、如来界や菩薩界や神界へは行けるはずがありません。親鸞のように、仏法の深奥を極めたものが念仏を唱えるのと、何も知らずにただ念仏を唱えている人とでは、もちろん、死後行くところも違います。 ただ念仏のよいところは、人智を超えた大いなるものに帰依するという純粋な気持ちです。こうした純粋な気持ちさえあれば、死後あの世でも、守護・指導霊の教えを受け入れやすいのは当然です。つまり、本人としては何も悟ってなくとも、素直に教えを受ける心境になっているから、あの世に来てから救われるのが早いか、または、学習のスピードが速いといえます。自力の教え、聖道門(しょうどうもん)では、確かに正しい教えを学んで悟れば、まったくすばらしい境地が拓(ひら)けてあの世でも霊天上界へと昇ってゆくのは早いのですが、まちがった自力の教えを学んでしまうと、地獄で長い間反省をしなければならなくなります。 こうしてみると、まあ、これは小桜姫の新説といわれるかもしれませんが、念仏、他力門は、あの世へ行っても、浅い地獄か、低い天国へは入りやすい。まあ、そうそうぶれがないといえます。一方、自力、聖道門は、真実の仏法を学んで努力すれば、上は如来、菩薩。まちがえて誤った教えを妄信、狂信して狂奔(きょうほん)すれば、下は地獄の最深部までとなるようです。 そうですね、自分は何もわかりませんから教えてください、という程度の生徒はそこそこ教えやすいので、普通の大学くらいには入れるが、俺は自分のやり方で猛勉強するのだと頑張っている人は、超一流大学に入るか、落第して、そのうちどこかに消えてしまうかの違いともいえましょうか。 さて、では現代の宗教の状態をみてみましょう。念仏で救われるという考えは、「アーメン」と言えば救われるというのとほぼ同じでしょう。こういう教えは、よほど教育程度が低いか、よほどの病人か、よほどの罪悪の限りを尽くした人でなければ、なかなか素直に受け入れにくいと思います。 現代は、ひじょうに知的な時代ですから、アフリカや中南米では念仏宗がはやってもおかしくはないですが、日本や欧米では、完全他力のアーメン教はなかなかはやらないと思います。 やはりこの時代は、末法の最後の世であって、同時に、正法の打ち建てられる時代ですから、いちばん正確な神理を学ぶことのできる時機なのです。諸如来、諸菩薩が数多く出ているのですから、「南無阿弥陀仏」だとか「アーメン」とか言っているひまがあったら、肉体を持った光の天使たちに教えを乞(こ)い、その正しい教えを実践して、日々を生きるべきであります。 極楽浄土はあの世に非(あら)ず、この世そのものです。この世で地獄を生きて、あの世で天国に住むことも、この世で天国に生きて、あの世で地獄に住むこともありません。あの世で特別の修行でもしないかぎり、あの世でのあなたは、この世でのあなたの人格そのものです。 できるかぎり、この世に生きるときに、自分の心のなかに天国を、そして自分のまわりに天国を築いてゆくべきです。そのときにはじめて、阿弥陀如来は西方浄土におわすのではなくて、その身そのままのあなた自身の心のなかにいることを発見することでしょう。 10.地上の記憶(1986年7月29日の霊訓) さて、地上は暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしですか。小桜の世界は、暑くもなく、寒くもなく、ちょうど初夏のような五月の若葉緑のなかを散歩したりしています。 ところで、今日は、「地上の記憶」ということでお話ししたいと思います。あなた方、肉体を持っている人間は、過去の記憶というものがほとんどなくて、まれに、過去世を憶えている子供なんかいて評判になったりしますね。時には霊道を開いて、過去世の言葉で、過去世のことを話す人も出てきますし、現にあなた方のグループでも、何人かは、そういう人がいます。けれども、原則は、一般の人は自分の過去世を記憶していません。まあこれは、過去世のことを覚えていると、地上での肉体修行にさしつかえがある、というのが主とした理由で、忘れてしまうのでしょう。 同じようなことは、私たち天上界の人間に関してもいえるようです。地上を去って、大部分の人間は、いったん四次元の幽界に還ってきて、地上生活の垢(あか)や汚れを取り除き、人生のすべての心の曇りをはらすため、反省に励みますが、このときは徹底的に地上生活のあらいざらいを思い出さねばならなくなります。 しかし、その後、各人の本来の霊性、霊格に従った世界に還ると、――たとえば私でしたら、六次元神界に戻ってくると、地上のことはもうほとんど、思い出さなくなります。今の私に、地上時代の細々(こまごま)としたことを聞かれても、ほとんど忘れてしまっているといってよいでしょう。そのかわり、実在界での本来の私の魂意識が甦(よみがえ)ってくるといいますか、過去私が習得してきた、数千年、数万年にわたる霊的知識の宝庫が自分の自由になります。 こうして地上生活時代は、一〇パーセントの表面意識で生活して、九〇パーセントは潜在意識として眠っていたのですが、こちらの世界では、一〇パーセントの表面意識は、過去の記憶のなかに沈潜してしまい、残り九〇パーセントの潜在意識が、顕在化してきます。 これをわかりやすくいうと、私たちは、こちらの世界では、念(おも)い即行動であること、つまり、心で念ずることはすなわち、行為することと同じであること、祈りのパワー、神の光のエネルギー原理、一瞬にして空間を移動する力、何千キロ離れていても対話できるテレパシーカ、将来起こることが予知できる能力、数限りない神理の修得、こうしたすばらしい力を身につけます。 生きている人は、「心」とは、たかだか感情に毛のはえたものぐらいの気でいます。しかし実際は、「心」とは、「神」と同義なのです。心は、その神秘的な力を発揮してゆくにつれて、神のごとき力を発揮しうるのです。 イエス・キリストという人は、「この山動きて海に入れといわば、しかなるべし。」とおっしやっているそうですが、地上の人間でそういう力を持った人がいかほどおられたかは知りませんが、私たち神界では、そうした霊的力持ちはいくらでもいるのです。小桜のようなか弱い女性には、六次元にある山を海に放りこむような念力はとてもありませんが、こちらの世界でも、とても、心の力を発達させた長老格の人であれば、「山よ砕けよ」と一声発したならば、ほんとうに何百メートルもあった山が、ガラガラと音をたてて崩れ落ちるのです。「海に入れ」と言われたら、何メートルもある岩石の塊がゴロゴロと海にころげ込んでゆくことは、まあ、百聞は一見にしかずで、アッという間の現実です。 本来、人間の潜在意識には、それだけの力が秘められているのです。それなりに生きている人間はそれを忘れています。ほんとうにもったいないことです。 逆に私たちは、こちらの世界で、地上時代の記憶を忘れてしまうのですが、まあ、忘れてしまって損をするということはほとんどありません。小桜が生きていた戦乱時代のことなんか憶えていてもいいことは少しもありません、悲しいだけです。こちらの世界でも、人と話をしている際に、時々フッと、悲しい思い出のことが蘇(よみがえ)りそうになりますが、いったい、悲しい感じがするもとの事実が何だったのかはとても思い出せません。 それは、昔、足に怪我か何かして傷が出来たことがあって、完治して何年もしてから、川に足をつけようとして、一瞬ハッとするのだけれど、なぜハッとしたのかは深く考えないままに、水のなかにザブザブはいってゆく姿に似ています。このように、地上生活時代に悲しいこと、苦しいことがあって、心が切り刻まれるように思ったとしても、やがて傷口もふさがって、そのことを深く考えなくなってゆくのです。 こういうと、読者のなかには、完全に忘れてしまうような地上生活なら、魂にとって、無意味ではないですか、という質問をする人もいるかもしれません。 しかし、そうではないのです。地上の記憶は「出(だ)し」をとったあとの小魚のように捨てられるのですが、その「出し」そのものは、魂の奥底に深い味わいとなって残っているのです。天上界で本格的な魂の料理をつくるときに、地上でとれた濃い「出し」が、とても重宝がられるのです。
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目次 1.神理に接した最初の感激を忘れると坂道をころげ落ちる 2.なまはんかな気持ちで「神理」という名の山に登るな 3.自分自身と立ち向かう厳しさを知れ 4.小さな悟りに甘んじるな 5.不退転の原理①――自分に厳しく他人に寛容に 6.不退転の原理②――神にたいして永遠に近づいていく自分であれ 7.不退転の原理③――傷つくまで人を愛せ 8.不退転の原理④――永遠の生命の実相をつかめ 9.不退転の原理⑤――信仰の力の大きさを知れ (1987年3月13日の霊示) 1.神理に接した最初の感激を忘れると坂道をころげ落ちる 高橋信次です。きょうの演題は、「不退転の心」という題を選んでみました。 この不退転の心っていうのはほんとうにだいじなんです。とくに正法行者にとって、これほどだいじなことはありません。 まず最初ね、いろんな神理の書物に触れて、心がわくわくして、そしてこれで自分はわかった。神理がわかったということはね、みんなよく思うんです。 けれどもね、最初の感激はいつかしら、後ろのほうへ押し流されていって、まただるいだるい毎日の日常生活をくり返していくうちに、人間はそのなかで、くもりをつくっていきます。 そして初めて神理に触れたときの、あの新鮮な気持ちというのを忘れ去って、そしてどうしたらいいかわがらんような、そういう生活を送るようになってくるんですね。 けっきょくね、正法行者の行路、あるいは旅といってもいい、道行きといってもいい、それはなにかというとね、坂道なんです。 通常の人間というのは平坦な道を歩いとるのですね。平坦な道を歩いとるのだから、ころんだところで、また立ち上がればそれでおわりなわけです。 ところが正法行者というのは坂道を歩いてます。あるいは山登りをしているのですね。 山の上には悟りという名の花が一輪咲いておるので、その悟りという花を一輪、取ってくるために頂上に向かって、みんな坂道を歩いておるのです。山道を歩いておるのです。そういう状況にあるわけですね。 したがって正法行者というのは、坂道を歩いておるから、いったんころぶとね、ころげ落ちるのが早いわけです。坂には角度があるからです。 ところがふつうの人というのは平坦な道を歩いておるから、ころんでも、お尻の汚れをパンパンとはたいたら、それで終わっちゃうんですね。 ところが、正法行者は一歩足を踏みはずすと千尋(せんじん)の谷に落ちてしまったり、岩山をころげ落ちたりするわけです。 そうすると悪くすればね、絶命しますし、よくてもね、全治三ヵ月ぐらいの重傷になることが多いわけですね。これほど厳しいわけです。 2.なまはんかな気持ちで「神理」という名の山に登るな で、とくに正法行者のなかでも宗教的な指導者たちというのはね、たんなる山道を歩いているというよりも、山の尾根、尾根道を歩いているもんなのですよ。 山の尾根道はひじょうに見晴らしがよくて、目立つんだけれど、いかんせん足の歩くところの幅が狭いんですね。 そして右側にも左側にも急傾斜がある。登っておって、あっというまにころげ落ちちゃうのですね。それだけ厳しいんです。平坦な道じゃないんです。 たんなる坂道じゃなくて、もう足の歩く幅がひじょうに狭いんです。もうほんの三十センチ、五十センチです。 鼻歌歌って歩いているのはいいけれど、もうちょっと踏みはずすと、コロンです。木の根っこにつまずいたらコロンといっちゃうのですね。これだけ厳しいんですよ。 ですから私は一般の人に言いたいんですね。登山というのは、それだけ厳しいから、なまはんかな気持ちじゃやめなさい。 神理というのはどんなにすばらしいものだと思っても、なまはんかな気持ちで始めるぐらいなら、いっそ来んほうがいいですよ。 山登りしても途中で迷ったら、もうどうしようもないんです。ふもとまで下りられんし、下りるに下りられんし、登るに登られん、どうにもなんないんです。 そして呼べども呼べどもなかなか救いは来んのです。みんな山のなかで格闘しているから、それぞれが、なまはんかな気持ちで登山する人は、人の足手まといになっちゃうんです。 そういうことで、なまはんかな気持ちで山登りするぐらいなら、いっそ広場でね、草野球でもしとったほうがいいんです。 3.自分自身と立ち向かう厳しさを知れ ですからいったん正法神理の道にはいった以上はね、人間はそれだけの覚悟をせねばいかん。それだけの覚悟をしないと、やはり道は開けんということです。明日がないということなんです。 この心のことを、不退転の心といいます。 いったん山登り始めた以上はね、もう頂上まで行って悟りという名の花をもぎ取ってくるまでは、もう帰らんということなんです。 つまずいても、ころんでも、ころげ落ちても、すりむいてもね、膝を。あるいは鼻血を出しても、たんこぶを作ってもね、それでもなにくそと思って、山道を上がっていかねばならぬのです。 途中で弱音を吐くぐらいなら、最初からくるなっていうことです。道は険しいんです。だんだんだんだん険しいんです。 昔から釈迦の時代から、まあ女、子供が成仏できん、悟れないということを、よく言われます。 べつに女性を差別しとるわけではありませんが、女、子供が成仏できんといわれている理由は、山道を歩いておるのといっしょだからです。山登りなわけです。登山なわけなんですね。 登山をするときに、女性とか子供がいるとたいへんむずかしいんですね。女性が途中で足が痛いといってへばってしまうと、もう動かなくなるんです。子供もいっしょです。もう僕はいやだと言い始めたら動かなくなる。 したがってなかなか最初からね、登山というものは認められない。 「もうくるのはおよしなさい。あなたの足ではとても上がれない。あと足手まといになるからくるな」と言われる。それでも来たという女性もおれば子供もおる。お年寄もいるんです。 彼女らも、それだけの覚悟をしてこなければいけないということですね。 そして山登りの醍醐味がある反面、厳しさがある。それは、自分自身と立ち向かう厳しさなんです。 山登りはね、だれもね厳しい傾斜を他人を背負ってまでは登ってこれんのです。どんな登山家だって人背負ってまで頂上まで行けんのです。それだけの力はありません、どんな人だってね。 だから厳しさは自分自身と、対決する厳しさなんです。この厳しさを正法行者というのは、しっかり考えねばいかん。 だから神理に触れて、これで悟ったと思ってそのあとさまざまな日常生活で、また混乱に陥っていく。 こういう人たちっていうのは、その厳しさというものをね、なまはんかに考えておるのです。そしていつしか自分にたいする甘さ、甘えにとつながっていっておるのです。 4.小さな悟りに甘んじるな 私のときにもそうです。私の反省的瞑想という教えに基づいて、百数十名の人が心の窓を開きました。 そしてみずからの過去世のことを知り、そして未来世を知り、異言を語り、そして霊視ができたり、霊聴ができたりするようになりました。 しかしそうしたかたがたは、私が去って十一年、もうどうなったことでしょうか。その能力をそのまま持ち続けている人がいるでしょうか。 山道を案内する案内人がいなくなったら、彼らはとたんに山道を登るということを忘れてしまっておるわけであります。 この道にはいるということは、それだけみなさんね、厳しい試練ということにたいする、立ち向かう気概というものを養っていかねばならぬのです。 もう山のてっぺんで、悟りという名の花を折り取ってくるまでは、どんなことがあっても、弱音を吐かないという気持ち、これがだいじです。 そして、その道行く途中において、心がけなければならぬことは、人にやさしく、自分に厳しく、「己れには厳しく、他人には寛容に」ということばです。 私は生前、なんどもこのことばを言いました。自分に厳しく他人に寛容にと。 しかし私が去って十年あまり、いつのまにか人に厳しく、自分にばかり甘い弟子たちが、竹の子のごとく、ボコボコと、あっちにも、こっちにも、出てきております。自分が偉いというようなことばかりを吹聴している弟子たちです。 こういう人たちは、自分自身にたいして甘く、人にたいしては厳しく、批判ばかりをしています。まったく師の教えにそむいておるわけです。 こういうふうに、正法というものをいったん、不退転の気持ちを起こして登り始めたのにもかかわらず、自分という者に甘んじ、小さな悟りに小成してしまって、そしてさらなる向上を目指さない人たちが出るということを、私はひじょうに悲しく思うものであります。 悟りには果てがないのです。その頂上にたどり着いたと思っても、そこがまだ頂上ではないかもしれない。 あるいは今世における、あなたがたひとりひとりの征服すべき山の頂上かもしれないけれども、山はそこで途切れておらんのです。 その山を征服したと思ったら、その山の頂上と思いしところから、さらにつぎなる山へと、つながっておるのです。そしてつぎなる山はさらに高い山なのです。 これが人生の真実なのですね。頂上と思っておったものがじつはまだ途中の経過、中継点にしかすぎんということを、やがて知っていくのです。 ところがその中継点において、峠の茶屋でお茶を飲んで満足している人がいっぱいいるわけです。 そして自分はエベレスト山をきわめたと思ってそこで弁当を広げて下界を見て、天上界はすばらしい。下界はなかなか醜い。自分は悟りすましたつもりでいる人がいっぱいいます。 こういう人たちは、みずから厳しい試練を乗り切っていこうとした当初の気持ちを忘れ去って、もうあとをふり返ろうとしないんです。 背後に高い山がそびえていることを見ようともしないで、もう自分の過去ばかりをふり返って、そして満足にひたっておるわけです。 こういう人たちは、自分自身にたいして甘くないかどうかを、もう一度ふり返ってみる必要があるわけです。 5.不退転の原理①――自分に厳しく他人に寛容に ですから本日の演題である「不退転の心」というものを追究してみると、第一点は、いまも言いましたように、「自分に厳しく、他人に寛容に」という気持ちです。この気持ちを持ち続けて人生修行ができておるかどうか。 「自分に厳しい」ということを、いろいろ話をしてきたけれども「他人に寛容」ということの意味がね、なかなか人間はわからんのです。他人には注文ばかりが出てくるのです。欲求ばかりが出てきます。不平不満ばかりが出てくるんです。 人がああしてくれたらよかったのに、こうしてくれたらよかったのにという他人にたいする不平、不満、愚痴、恨み、足ることを知らぬ欲望、こうしたものがつぎからつぎへとボウフラのごとく、心に湧いてくるのです。 しかしながら私たちは神ではない以上、他人の非を責める前に、他人の欠点を責める前に、自分自身がいったいどれだけ努力しているかということを悟らねばならぬのです。 他人から見たら自分もまた不平不満の対象となるような、自分でないかどうかということを、もう一回ふり返ってみなければいかんのです。他人から見たら、自分もまた不満に思われるような存在かもしれんのです。 そういうことを棚上げにして、他人の欠点や他人の弱点、他人の足らざるところばかりを指摘して、そしていい気になっておってはいかんのです。 人間はみずからが高くなればなるほど、他人の欠点がよく見えるようになるけれども、他人の欠点が見えるようになったときに、またそこがひとつの大きな魔境だということです。 他人の欠点が見えたときに、そればっかりを見つめて拡大鏡で見るように見とったのでは、さらなる自己の完成はないのです。発展はないのです。 他人の欠点が大きく虫メガネで見るように見えたときに、もう一度、その虫メガネでもって、自分自身を見てみることです。自分にはもっと大きな欠点があるかもしれない。 人間というものはとくに、他人の目についたね、ちょっとしたゴミぐらいはすぐ見つかるんだけれども、自分の目のなかにある大きなゴミといいますかね、大きな汚れについては気がつかんもんなのです。 人のものはよく気がつく。自分のことは気がつかん。そういうことがあるわけですね。 ですからあくまでも「己れに厳しく、人に寛容に」というモットーはつねづね、自分をふり返るモットーとして、考えていかねばなりません。 6.不退転の原理②――神にたいして永遠に近づいていく自分であれ 不退転の心の第二は、これはね、神について、日々探究するということです。神の本質というものを、日々求める自分であるということなんです。 神というものにたいして永遠に近づいていこうとしていく自分であるならば、退くことはできんのです。退転することはできんのです。進歩するしかないんです。みずからの内なる神というものを、ほんとうにきわめて、そしてそれを取りだしてみるまでは、人間は自分の人生は、満足だと言ってはならんのです。内なる神の探究、これを忘れてはならん。 不退転という心であっても、なにに関する不退転かということを人間はすぐ忘れてしまうんです。 不退転という心の意味は、強情だということを、言っとるのではないのです。頑固者だと言っとるわけじゃないのです。不退転ということばでもって人の意見に耳を傾けないということを言っとるのではないのです。 不退転ということは、神の心に接するまでは、神の本質に触れるまでは、けっして向上をやめないという決意のことを言うのです。 みなさまの理想はみなさまの希望は神なる本質をつかむことであり、それをつかむまではけっして満足してはならんのです。これもまた不退転の心です。 不退転をもって強情っぱりとか、人の意見を聞かんとか、怒りにまかせて言いたい放題いうとか、こういうことであってはならぬ。断じてこういうことであってはならんのです。 不退転というものは、永遠の理想を追究する人間の生きかたなんです。不退転ということばでもって内なる神の探究という姿勢を断じて忘れてはならぬ。私はそう思います。 7.不退転の原理③――傷つくまで人を愛せ 不退転の心の三番目は、これはひとつには愛の完成です。 愛の完成といって、わかるでしょうか。人間はともすれば、人から愛を与えられたい存在です。与えられることばかりを望んでいます。 しかしほんとうの修行者の心というものは、他人にたいして惜しみなく愛を与え、与え、与えて、与え続けることではないでしょうかね。 ひとつ与えたら、ひとつもらいたいというような心になっておらんかどうか、これをもうすこし探究してみる必要があります。 人間というものは、すぐ与えられたい気持ちになってくる。しかしほんとうの愛は、菩薩界にある。菩薩の愛は惜しみなくひとびとに与える愛です。 またこれが、キリスト教でいう自己犠牲と同義であるということがよくわからないならば、あのインドで活躍しておるマザー・テレサという御婦人のことを、現代の聖女のことを思えばいい。 彼女は言っておるはずです。「傷つくまで愛しなさい。」と。 たんに愛するだけで止まってはならん。「傷つくまで愛しなさい。傷つくまで人を愛しなさい。みずからの心から血が流れるまでに人を愛しなさい。それがイエスの愛だったからです。」彼女はそう言っている。 イエスは茨の冠をかぶり、十字架にかかり、その両手、両足に五寸釘を打ち込まれて、わき腹に槍を突きさされて、血を流して死んでいきました。人類にたいする救済の思いだけに生きて、そして血を流して死んでいったのです。 つまりイエスは傷つくまでに人類を愛したのです。心の底から、血がにじみ出すほどに人を愛したことかあるかどうか。これをひとびとは考えねばならん。 自分の心のなかから、血がにじみそうになったら、これはたいへんとばかり、ひき下って、あわてて自分を愛してもらおうと、介抱してもらおう、看病してもらおうと思うのが通常の人間ではないでしょうか。 不退転の心をもって修行しているものは、みずからが、傷つくまでに人を愛したことがあるかどうか、これをもう一度考えてごらんなさい。 自分が余裕のあるときは人を愛して、余裕がなくなったら愛するようなことをやめるような、そういう愛ではないか。そういうなまはんかな愛ではないかどうかを、もう一度じっくりと、考えてみる必要がある。 イエスのように最期まで愛するということです。イエスもまた不退転の心を持っておったわけです。 イエスは人を愛しておったけれども、イエスの心が中途半端な心であったならば、彼は十字架にかかるところまでは、人を愛さなかったはずです。わが身の安全を考えて、ほどほどの教えを説いて天寿をまっとうできるように彼は努力したかもしれない。 彼自身、自分自身にたいして言い聞かすことばはいくらでもあったであろう。 「イエスよ、おまえはこんなことで早死するよりも、七十、八十、まで生きて多くの人を救ったほうがよっぽど利口であろう。」そういうささやきも内から、届いておったであろう。 しかしイエスは、そういうささやきにたいして、耳を貸さなかったわけであります。 彼は愛するということにおいて、妥協をせんかったわけです。傷つくのみならず、死するまでに人を愛したということですね。 この精神が、クリスチャンのなかには流れとるわけです。 殉教したさまざまな聖人たちがいます。彼らもまた傷つくまでに愛したわけです。神の子、一人子であるといわれるイエス・キリストを信じて、愛したからこそ、彼らは十字架にかかっても耐えてきました。 火あぶりにあっても耐えてきました。偉大な光の指導霊たちは、この世に降りて、火あぶりになって死んでいったのです。 天上界にいて、私たちはひじょうに悲しく思いましたけれども、それまでに傷つくまでに、みずからが傷つくまでに、人類を救いたいと願っている彼らの愛に対し、私たちは敬意を払う以外になにもすることができなかったわけであります。 ですから不退転の心のなかに、傷つくまでに愛する。愛し尽くす。最後まで愛する。この気持ちを忘れてはなりません。 8.不退転の原理④――永遠の生命の実相をつかめ 不退転の心の第四は、これは人間、あくなき転生輪廻の過程で、永遠の進歩をめざす存在だということを、はっきりと自覚することです。 安易な障害や、挫折によって人間がくじけてしまう理由は、この永遠の生命ということを、ほんとうの意味で信じておらんからです。 ほんとうの意味で永遠の神理ということを永遠の生命ということをしっかりとつかみ取ったならば、人間は退転することはできんのです。 たいてい途中でひき返してくる人たちは、人生はこの世限りだというまちがった思想に心を奪われておるのです。仏道修行をやろうとは思うけれども、心のなかのどっかに、人生はこの世限りなんだという声が聞こえてきて、そして安易な道へと入っていくのです。 この世的によりよい生きかたをしようとする。お金がもうかる方向へ、妻が喜ぶ方向へ、子供が喜ぶ方向へ、親戚から喜ばれる方向へと、人間はおもむいていくのです。 それは神理というものに目覚めておりながら、どこかで人生はこの世限りだという声が聞こえておるのです。そういう悪魔のささやきが聞こえておるのです。 ほんとうに人間は永遠の転生輪廻をくり返している旅人だということを一心につかみきらねば、不退転の気持ちというものは湧いてこんのです。 すなわち、永遠の生命、その実相をつかむことです。 人間に永遠の生命があって、死後の世界があって何度も、何十度も、何百度も地上に生まれ変わって修行しておることをはっきりつかんだならば、この世で自分はどのように生きるべきかという指針は、はっきりとわかるのです。 この世限りだと思うから、甘い方向へとみずからを導いていきます。 しかし来世も、来々世も、そのまた来世もあるということを知ったときに、この世において、今世において少しでもすばらしい自分を創らないで、あの世に還ってくるわけにはいかんのです。 この永遠の生命を知るということ、つかむということが不退転の原理のまたたいせつなひとつなのです。 9.不退転の原理⑤――信仰の力の大きさを知れ そして不退転の原理の第五は、なにかというと信仰という力です。 生きていくうちには、さまざまな困難苦難があります。それはとても人間心、理性でもっては割り切っていけないように思うことがある。人間知恵では、計っていけない、解決していけないように思うことがある。 しかし人間には最後の力が残されておるのです。それは信ずるという力です。信仰の力です。神を信ずるという力です。 不退転の最後はこの信ずるという力によって補強されるのです。支持されるのです。信ずる力の大きさというものを、人間は知らねばならぬのです。 ほんとうに神を信じきることができなければ、不退転の気持ちというものは起きんのです。なまはんかに神を信じておるようでは、退転してしまうのです。 地上の人たちはまだまだ信ずる力が弱い。信ずる力というのはどこまでも大きくなっていくんです。大きく、大きく、この世の中を救うというところまで、大きく実現していくのです。 きょういろんなことを言いました。五つの不退転の原理、不退転の心のありかたを述べました。この最後の信仰、まちがいのないしっかりとしたよき信仰ということの力、これを忘れないで生きていっていただきたい。まあそう思います。以上です。
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目次 1.私は霊の世界を知らない学者を批判した 2.汝自らを知れ! 3.毒杯を呷(あお)り刑に服(つ)く 4.昔のアテナイは今の東京 5.私はドイツ観念論の始祖に当たる 6.法の重みを自覚し、対機説法を行なえ (一九八四年四月二十九日の霊示) 1.私は霊の世界を知らない学者を批判した ― ソクラテスを招霊する――。 ― 古代ギリシャ語が長々と続く ―。 善川 ソクラテス様ですか……。まことに恐れ入りますが、私は今のあなた様のお言葉は解し兼ねますので、できましたら日本語でおねがいしたいのですが。 ― ギリシャ語が続く ―。 ソクラテス ウヮタクシハ、ソ、ソ、ソクラテス、ソクラテス、デス。 善川 まことに恐れ入りますが日本語でお願いできましょうか。 ソクラテス デキルカギリ、ドウリョクシテミマス。ナレテキタラ、アルテイドハ、 コタエルコトオモイマス。 善川 あなたは、ギリシャの国にお生まれになられたわけですね、今からおよそ二千五百年程前ですか。 ソクラテス ソデス。 善川 それで非常な哲人として、今も多くの人々に語られ敬われておられるわけですが、私は残念ながら先生のご思想というものについての認識が足りませず、当時どのような思想のもとに゛法゛を説かれたのか、そのようなことについて、もしお話をして頂けるなら有難いと思うのですが。 ソクラテス ― またギリシャ語が始まる ― ワタクシハ、イマノアナタガタガ、ギリシャとよんでいる国、アテナイという都市の中で、人間として生きていくものの正しい生き方が如何なる方法であるかということを説いていたのです。 善川 それは書物でお著(あら)わしになられたのですか、それとも口述されたものであったのでしょうか。 ソクラテス わたくしは、このような「対話」の形を通じて、人々を啓発するという方法をとったものです。 善川 当時のギリシャは、文化の進んだところでありますので、文字等もあったことと思うのでありますが、先生が説かれた゛法゛というものの教えについての書物は残されなかったのでしょうか。 ソクラテス 私の弟子達が、私の語ったものを記録に残しております。私、自らは書いてはおりません。 善川 ということになりますと、お釈迦様や、イエス様が、説法されて、そのお弟子様方が、後々の世のために書物として、書き残されたということと同じケースであったわけですね。 ソクラテス かも知れませんが、違うかも知れません。 善川 特に先生が、ご注意されました点というのはどういうことであったのですか、お教え願えますか。 ソクラテス わたくしは、主として知識、知力、理性というものから「正法」を説いていたものです。真理に対する正しい知識を持っていなさいと。そうすることが、あなた方の進歩に繋がるのです。間違ったこころ、間違った知識や知恵は、何の役にも立たない。そういうことを議論によって次つぎと表わしてゆきました。 善川 その正しい知識と申されましたけれども、当時あなたが正しい知識とご主張されたものの規範と申しましょうか、尺度と申しますか、何をもって正しいものであるというご見解を持たれたのでしょうか。 ソクラテス 私の考えは、神というものを哲学的に認識することでした。具体的には、私が招霊をしていたものとの交信を通してさまざまな知識を得ました。 善川 それは、その時点におきまして、あなた様は「神」の存在というものをご自覚されておられたのでしょうか。 ソクラテス そうです。 善川 それでは正しい知識というものは、いわゆる人間知によるものか、神から出された本来の英智というものか、そういうもののけじめというものは確然とされていたのでしょうか。 ソクラテス そうです。ただ私の当時の使命は、あなた方は一般に宗教という形で人々に説いていたけれども、当時のギリシャは、非常に知的な文化が進んでおり、非常に学問的にも進化しておりましたので、宗教を宗教として単に信ずる、感じるというものではなくて、宗教を学問化するということが、私の当時の目的であり、神をただ信ずるなどというのではなくて、この世界、あの世の世界を、学問的に体系づけるということが、私のやり方の一つでありました。 善川 そのあなた様が感じておられました神という対象は、どのような神を対象とされておられましたか。 ソクラテス ゼウスの神です。 善川 ゼウスの神という方は、どういう神格を持っておられた神様ですか。 ソクラテス ゼウスは人格神でありますが、諸々の聖霊達の上に立つものです。 善川 これは宇宙の創造神という、いわば「法神」という意味ではなく、いうならば地球霊団の゛長(おさ)゛という形の神様であられたわけですか。 ソクラテス そうとも言えますし、そうでないとも言えます。具体的に人格的な神であられることは存じておりましたが、それ以外に天地創造の大きな働きと関係あることを否めません。それを学問的に捉えることもむつかしいと思います。ゼウスという言葉も、人格神としてのゼウスと、それ以外の大きな力を表わしているゼウスがあると思います。 善川 その辺の「理(ことわり)」というものを理論的にあなたはお説きになられたのですか。 ソクラテス そうです。 善川 それをお弟子さんのプラトンなり、アリストテレスなどが文書に著わしたのでしょうか。 ソクラテス 彼らは彼らの立場や考え方がありましたので、必ずしも私の意図したもの通りとはなっておりませんが、私の考え方、思想の一端は、彼らも述べ伝えているはずです。 善川 いずれにいたしましても、あなたも歴史上の人物であられるし、人間として肉体をもってこの地上に現われました方であります関係上、お教えになられたことも単に抽象的なことではなくて、この地上に生活する人間が、如何に生くべきかという具体的な生活の行動指針をお説きになられたものと、私は拝察いたしますが、私たちの理解のできる範囲で、あなたのお教えというものをお聴かせ願えれば幸いと存じますが。 ソクラテス 私は霊の世界についても説いております。転生輪廻についても語っており、霊界の世界も生きながらにして行って来ました。そして天上界の仕組みについても、私、語りました。そういうものがあるということを人々特に青年達に教えていきました。青年達に、アテナイの、ギリシャの未来を担う青年達に魂の世界のあること、天上界という組織があるということ、転生輪廻もあるということを教えましたが、当時の他のソフィスト達は、私を、青年達を惑わす者、青年達を悪に引き込むものだというふうに称して、私に議論でよく負けていたものですから、そういう反感から私を陥れようと陰謀した人達も随分あって、私を、青年達を惑わしたという名のもとに死刑にしようとしました。 善川 その人達は、役人とか或いは政治的な背景を持った人達だったのですか。 ソクラテス そういう人達も居りました。当時有名な言論家達、たくさん居りました。私は当時でも異端のように思われていたのです。当時の言論家達、雄弁家達は自らの知識を誇りにしておりましたが、私は、そうではないのだ、あなた方は全く無知なのだ、学問をいくらやっても、学問馬鹿というものがある。いくらこの世の学問を修めたところで、あなた方は霊について何も知らないではないか、死後の世界を何も知らないではないか、神についても知らないではないか、転生輪廻について何も知らないではないか。何も知らないものが知ったもののように語ることは如何なることか。何も知らないのに知っているように語るよりは、知っていることと、知らないこととを分け、知らないことを知らないと言える謙虚な人間こそが、もっと立派であると私は彼らに言いました。 あなた方は何も知らないではないか、何も知らない。霊も知らない、神も知らない、この世の仕組みも知らない。仕組みも知らないのに何もかも知ったような顔をして青年達を教えるというのは、間違っているではないか。そのようなことを、私は事ある毎に人々に言いました。ところが当時の人達は、私を世を惑わす異説、異端ときめつけて私を消し去ろうとしたのです。イエス様が十字架にかかったのと似たような事情であります。 善川 私は当時の模様はよく存じませんが、文化が非常に発達したものと思いますが、あなたのお仕事は、今で申しますなら評論家というのでしょうか、それとも大学の教授という職のお仕事だったのでしょうか。 ソクラテス 今いえば大学教授のようでもあるし、弁論家でもあるのですが、弁証家がそれだけの力を持っていた時代なのです。 善川 それはイエス様当時のパリサイ人(びと)、或いは、サドカイ人(びと)というような宗教上の学者グループというのでもなかったのでしょうか。 ソクラテス ちょっとあなたの言っていることが判りにくいのですけれども。 善川 いわゆる神学者ですね、あの当時の、イエス様の当時の人は神学者ですね、そういう立場の方々とは違う学者として……。 ソクラテス いろんな現われ方で、例えば仏教では、いろんな僧侶が沢山出てきました。キリスト教では、キリスト教の教会とか、いろんな方が出てきました。私達の時代には雄弁家というか、学問家というか、自分らで考えたことを次つぎ発表して、真理を競うとか、真善美、これを追究するための文化が非常に発達した時期でありました。 善川 当時は、現代のような学校というようなものはあったのですか。 ソクラテス 学校はありました。私自身、アテナ学園を創っていった人間の一人です。 善川 そういう学園の研究室で……。 ソクラテス 弟子達を集めて教えておりました。 善川 プラトンという方は、その当時のお弟子様ですか。 ソクラテス プラトン、そうです。 善川 アリストテレスは少し時代が下がっての方ですね、まあそういう方々の若い青年達を対象にして、あなたが説法されていたということですね。 ソクラテス そうです。 善川 いうならば、今様に申しますならば、反対学者が居られたということですね。 ソクラテス と言うよりも、当時の方々は、学問という基礎はもうあったのですが、本当のことが分からない。それで哲学というものを作ったのは私達ですが、これは、神の弁証、真理の弁証、というものを或る程度学問的に捉えようとした動きです。そしてまた私、このように現在、O川OOが語っているように、また光の天使達と語ることができたために、今と同じように私のことを怪(おか)しいというような人もやはり随分居たわけです。しかし、私を信ずるものは私に従いてきましたが、私を信じないでペテン師だと言っていた人も多かったのです。 善川 あなたのお話によりますと、あなたは既に霊能力というものが開かれておりまして、当時のゼウス様からの交信を受けるというお立場であられたというわけですね。 ソクラテス ゼウスとは直接お話できませんでしたが、お弟子様達とお話できました。 善川 あなた様は、そういう天性の霊能力を持っておられたし、しかも学者として哲学という学問を打ち立てておられたのですが、あなたの学問およびその教えの基本となるものは、今様に申していえば帰納法をとられたのか、それとも演繹(えんえき)法をとられたのでしょうか。 ソクラテス 両方とも、言葉が適切でありません。帰納でも演繹でもありません。私のやり方は違います。私、神の世界も知っていますし、霊の世界を知っています。当時すべて分かっていましたけれども、当時の人でそのようなことを理解できる人は居なかったのです。ですから議論ということを通して、相手に自ら無知であるということ、魂の頁実に対して無知であるということを悟らせる、これが悟りの第一歩だということで、私は人々の。゛無知゛ということを悟らせようと努力したのですが、これが無知を悟らせられる側の人からみたならば、大変傲慢なやり方に思えたはずです。 キリスト教には、自らの罪に気付いて懺悔するというやり方があるでしょう。仏教でいうならば、反省ということがあるでしょう。私のやったことも同じことなんですが、人間には間違った考え、愚かな考えや、欲望に振り廻されておりますが、それは無知にもとづくものであります。その゛無知゛に気付かせるために私は、いろんな所で、いろんな人と議論を行ない、いろんな人にいわば恥をかかせました。これはまあ一つの方法であります。 2.汝自らを知れ! 善川 まあ反省ということについては、あなたには有名なお言葉があります。「汝自らを知れ!」というお言葉ですが、それが自身の反省に立脚せよと、そういう意味であったわけですね。 ソクラテス そうです。今日的な宗数的な言葉で言うならば、神の子である自分に目覚めなさい、或いは、自分の良心に目覚めなさい、そういう言葉であります。当時はそういう言葉でしか「正法」は説けなかったのです。 善川 当時の肉体を持った人間としては、如何にご高説であったところで、遺憾ながら己が眼で観(み)、肌で感じなければ、それを信じるということは困難であったろうと思うのですが、あなた様は、何かその不思議を現象に起こして見せて納得させたという経験はなかったのでしょうか……。 ソクラテス 現象は人々に見せません。私のとった方法は、こういうことであります。なんというか、神の子としての自覚を持って日々生きていく人々は、それなりの高貴な魂、高貴な精神の持ち主、として外見にも表われ、言動にも現われるものです。私はそういうもの(現象)を知っていましたけれど、そうではなくて、私から出る波動によって悟らしめるという、私の言動、私の立ち居振舞い、そのようなものを見て、人は何か悟るものがあるであろうという、そういうやり方を私はとったのです。 善川 そういうことで人々の中には、悟れる人もあったわけですね。 ソクラテス そうです。 善川 さらに突っ込んであなたのお説を、もっともっと深く学びたいという学生達は、霊能力の開発ということまでは進まなかったのでしょうか。 ソクラテス そこまで進めた人は極く稀(まれ)な人でありまして、プラトン(プレイトゥー)はそのような、私と同じような力を持っておりましたが、やはり天性のものでありますし、ただ当時には、そのような力があるということは、或る程度信じられていましたので、神の人、という見方はありました。 善川 あなたのお目から見れば、あなたのお弟子様のプラトンは、どれだけの使命を持ってお生まれになったとお思いですか。 ソクラテス 共に同時代に生まれたものですが、プラトンの使命は、私よりも偉大だったかも知れません。私は一つの神より遣わされた人間として、高尚な人生を送って、その人格をもって人々に感化を与えるというのが私の使命でありましたが、プラトンの使命は、私の説いた人作り、それが哲学の基礎づくりともなるものでありましたから、彼の考え方は、もっと私より進んだ面もあります。 善川 あなたのご在世中には、あなたのお教えがどの位の人に影響力を及ぼされたのでしょうか。 ソクラテス やはり一つのアテナイ市の、まあ今でいえば東京のようなものでしょうか、東京という非常に進んだ文化の地があって、その中でやはり、ソクラテス在り、と言われた人間の一人です。 善川 まあ言うならば、東大の総長というような形での資格を当時持って居られたのでしょうか。 ソクラテス それは言えませんですけれども。 善川 あなたのご身分については、時の政府では何か認証というものをお与えになられていたのですか。 ソクラテス そうではありません。貧乏暮らしをして居りました。 善川 まあいうならば、野に在った学者ということですね。 ソクラテス まあ言わば私塾というか、私塾学園というか、当時はそういうふうに、言論家達が弟子を養成するのが流行(はや)っていたのです。 3.毒杯を呷(あお)り刑に服(つ)く 善川 いま一つお伺いしたいのですが、あなたが、これも史実によるんですが、毒杯を呷(あお)られたということですが、これは事実でしょうか。 ソクラテス 事実です。 善川 誰があなたに毒杯を飲むことを強要したのですか。 ソクラテス それは゛市民会議゛の決定です。 善川 ゛市民会議゛とは、いわゆる反対派の方々のですか。 ソクラテス 今にたとえていえば、地元の有士たちが、ソクラテスは青年達を迷わしている、ああいう男を許してはいけない……当時そんな法律があったのです。例えば今で言うならば、そういう間違った思想宣伝をして人々を迷わす罪とでも申しますか、そういうような刑法があったのです。私はそれにかけられたのです。抗弁することも出来たのです。申しひらきすることも出来たのですが、私は沈黙して何も言わなかったのです。牢獄の中に入れられても、牢獄の番人も私の弟子になってしまいました。次つぎと親しい人達も詰めかけて来て、私に、考え方を改めるように、謝罪するようにしろ、そしたら命は助かる。そういうことを次つぎ、いろんな方が言って来ましたけれど、私は自分の考えを曲げたくないし、また市民巷間においては、悪法もまた法であるという立場から、悪法であっても国を規律する法である以上は、生きている市民は守らねばならない。外面的に正義が悪に屈伏するように見えても、そういう法律というものを無視しては、民主主義国家は成り立たないから、多数によって、多数決によって私が有罪とされ、法律によって処刑されるとするならば、敢えて私は毒杯を呷(あお)ることを選びました。 ただ、当時においても死刑ということと、毒杯を呷るということは違っていて、処刑という形で人殺しをすることもありましたが、私のような場合は名誉的な死に方として、毒杯を自分から選んで死ぬことも許されたのです。 善川 それは毒物を飲み物の中に入れられたものを飲むわけですか。 ソクラテス そうです。 善川 その市民裁判というものはどういうようなものでしょうか、公的な裁判所における決定によるものでしょうか、それとも単なる市民の集まりですか。 ソクラテス 今でいえば陪審員のようなものです。陪審員がいっぱい並んで居て、地元有力者、市民の有力者が十人二十人と並んでいて、訴状読み上げて、それぞれ判決を読み上げて有罪が決まるのです。 善川 そういうことですか。その時に、もっとも死罪に価(あたい)すると言われたのは、何という罪の名で宣告されたのですか。 ソクラテス 思想犯です。今でいう、例えばあなた方が戦前、共産主義を持っておれば、監獄にぶち込まれたりしたでしょう。思想犯です。 善川 当時の思想犯といえば、眼に見えない神の国があるなどと説いて、人を惑わしたという意味でしょうか。 ソクラテス 青年を惑わす罪というのがあったのです。 善川 当時弁論家達の中には、あなたと意見を共にするような方は居られなかったのでしょうか。 ソクラテス いろいろ居りました。 善川 そういう方は、法にふれ罰せられはしなかったのでしょうか。 ソクラテス 私は先程言いましたけれども、人々に゛無知゛を悟らせようという方法をとったために、いろんな方の反撥や、反感をかったのです。また中傷する者も随分出てきました。告げ口をする者、いろんな悪口を言うものも出てきました。 4.昔のアテナイは今の東京 善川 歴史は以来およそ、二千五百有余年経ちましたが、あなた様はその後天上界でずっとご在住でしょうか。それで天上界からご覧になられた地上界の、時代の様相というものは逐一ご承知であられるのでしょうか。 ソクラテス 見ております。私達の時代から少しも進歩しておりません。「神理」を知らない人は、数においてはますます増えようとしております。 善川 しかし、ここで問題になるのは転生輪廻が繰り返されるということによって、その度ごとにいささかでも゛神理゛にふれて、そちらの方へ還って行って、また生まれ変わって来るという形で進歩しているというような姿が正常なことではないのでしょうか。 ソクラテス 或る時は私、ソクラテスの話を聴いて悟れなくても、或る時また生まれ変わって、例えば仏教者の誰かの説を聴いて、ああ実は前に聴いたソクラテスは、こんなこと言っていたのだな、ということを死んでから考え合わせて分かるという人も居るし、さまざまです。 善川 その頃の人々の世界観というものは、ギリシャ中心のものの考え方だったのでしょうか。 ソクラテス 大体地球は丸いということぐらいの想像はついておりました。 善川 他の地域にも人間が住んでおり、大小さまざまな社会が存在するということは知っておられましたか。 ソクラテス 知っておりました。アトランティス等も存在していて沈没したことも私達は知っておりました。 善川 しかし、アトランティスの沈没は、あなた方のご在世時代よりかなり古い時代であったと思いますが。 ソクラテス そうですけれども、その程度の世界観は持っていたということです。私達の世界はもちろんヨーロッパや、地中海や、アフリカ大陸、大西洋ぐらいにしか過ぎなかったかも知れないけれども、その当時としては、そこそこの世界観を持っていたはずです。 善川 現在のあなた様のお眼から見れば、もう地球は全部お見通しのことと思われますが、今、先程申されたあなた様のご在世当時の人間の魂の進化程度から比べて、少しも進歩していないようだと申されましたが、これは現在の、ギリシャ地域の人に限ってのことでしょうか、それとも地球的規模の全体の人間を指してのことでしょうか。 ソクラテス 比較の対象が違うのでなんとも言えませんが、人類の歴史は、時代、時代頂点があったはずです。ギリシャの時代には、光の天使達が多くギリシャに生まれました。技術も、工芸も、最高点に発達しました。けれども、ギリシャ以降に同じく永く栄えた時があるかというと、必ずしも続いたわけではありません。ローマが栄えたこともありますし、他の地域が栄えたこともあります。その時、その時に頂点を極めるけれども、その頂きの高さは決して高くなっていません。今は東京、東京でしょうか、ギリシャは、かつてアテネとして栄えた東京でしょうか。 善川 その当時から比較すれば、自然科学では相当に進んで来ているように思うのですが如何でしょうか。 ソクラテス 人間の数も増えておりますし、職業分化も増えております。さまざまなこともありましょう。何をもって進化というか、むつかしい問題です。 5.私はドイツ観念論の始祖に当たる 善川 あなた様も光の指導霊としていま天上界に居られるわけなのですが、特にご使命としてはどういう分野のご指導をされておられますか。 ソクラテス やはり学問的な動きというものを全体的に捉えております。 善川 それは国単位ではなしに、やはり全世界的な規模において捉えておられるわけですか。 ソクラテス 近代はさまざまな哲学者や思想家が出てきましたけれども、彼らも私どもの指導の下にあったというわけです。 善川 それはかつて出られた思想家の方々でしょうか。 ソクラテス 十八世紀、十九世紀、二十世紀にさまざまな哲学者や思想家が出た筈です。このような哲学的な運動が起きた背景には、私たちの力があったということです。 善川 近代の大きな思想家、哲学者としては、マルクス、エンゲルスなどが出て来ておりますが。 ソクラテス 私に関係ありません。 善川 例えばショーペンハウアーとか、ニーチエのような思想家も出ておりますが。 ソクラテス ニーチェは間違っております。ショーペンハウアー、彼も間違っております。 善川 あなたの系列ではないわけですね。いま、現代ではハイデッガー、サルトルなどの実存哲学というものが出てきましたが。 ソクラテス みな私達の流れとは別のものであります。私どもの哲学の流れは、カント、へーゲルというような観念論の流れの方に私どもは主として力を貨して居ります。 善川 いまカントさんは、あなた様のお出でる霊域に居られるのですか。 ソクラテス 近いところに居ります。 善川 近いところと申しますとお交際(つきあい)はされていないのですか。 ソクラテス 時どき会って話しております。 善川 それはまた違った霊域に居られるということでしょうか。 ソクラテス どういう意味ですか。 善川 居られる次元世界が別か、ということです。 ソクラテス 次元とは? 善川 七次元、八次元、九次元という次元世界があるようですが、そういう意味では別の次元でしょうか。 ソクラテス 何とも言えません―。 善川 それではお逢いするということでは、どちらの側からでも自由意志でお会いできるのですね。 ソクラテス そうです―。 善川 プラトンさんなんかも一緒のグループに居られるのですか。 ソクラテス 哲学者にも段階があるのです。 善川 日本では、西田幾多郎という方がいまして、この方も観念論の立場で゛無゛の哲学を説かれた方ですが、こういう東洋思想の方々に対する影響というものはなされたのでしょうか。 ソクラテス そういう人も居られるとは聞いております。指導はしておりません。 善川 折角のお出ましを願いましたのですが、粗雑なことをお尋ねし申し訳ないのですが、私達も一つの使命をもって現世に出て居りますのですが、もし私どもに今与えられます先生のアドバイスというものがありましたならばお願いしたいと思いますが。 6.法の重みを自覚し、対機説法を行なえ ソクラテス まず大切なことは、どういう人達を相手にあなた方が法を説こうとしているのか、ということです。ここのところを間違うと、いろんな反撥や邪魔を受けることになります。どういう人達を相手に、あなた方が法を説かれるかということです。 善川 私たちが聖賢の方々から神の存在、世界の仕組み、霊界の諸相と転生輪廻の法則について、相当高度なお教えを承っているのでありますが、果たしてこれらの「神理」を何処まで理解して頂ける対象者が居るかということに悩むのでありますが。 ソクラテス よく考えてみなさい。あなた方がいま神の縁によってこのような゛現象゛をさせられている。そして私たちの話を聴いている。もうあなた方の活動の使命は、単なる病気治しなんかではないということは明らかであります。 善川 さりとて、学者などを対象とするようなものでもないように思いますが、如何でしょうか。 ソクラテス 永遠の思想を残すということです。とにかく、二千年、三千年後の世にまで伝わるかも知れないということを念頭に置いて語りなさい。私のような者が語ったようなことでも既に二千五百年伝わっているのです。気をつけなさい。安易なことを語ったり述べたりしないことです。後世で誤解されるようなことを残さないことです。気をつけなさい。あなた方が残さんとしているものは、後の世に出て来て法を説く者達への遺産でもあるのです。彼らが正しく゛法゛を継げるような遺産を残すということ、これも大切なことです。 善川 先生は当時、先生の思想を書き残すということはなさらなかったのですか。 ソクラテス ないです。 善川 それは何か理由があって、書き残すということはなさらなかったのでしょうか。 ソクラテス 私の説法は、臨機応変といいますか、人に応じて私の説法は変わったのです。そのような融通無碍(ゆうずうむげ)のものです。書いてしまえば、後の世に誤解されます。私の思想は一定のものではないのです。時、処、場所によって変わっていくものなのです。ソクラテスがこう述べたからこうだ、というようなものではないのです。後の世に必ずそれが、真理を求める人の足枷(あしかせ)になる場合があるのです。 善川 ありがとうございました。私達も、今後心してまいりたいと存じます。 ソクラテス もう帰ってもよろしいか―。 善川 最後にちょっとお尋ねしたいのですが、最初にあなた様が語られた言葉は、ギリシャ語ですね、現代のギリシヤ語とは違いますか。 ソクラテス 違うでしょう。当時のアテナイ地方の方言です。 善川 わかりました。それでは有難うございました。また今後ご縁がございましたら、いろいろご指導下さいますようお願いいたします――。
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ロニール山脈(ろにーるさんみゃく) 概要 アビスに登場したフィールド区分。 登場作品 + 目次 アビス詳細 町・ダンジョン 探索ポイント15 探索ポイント29 出現する敵(南部) 出現する敵(北部) 関連リンク関連項目 被リンクページ アビス + 詳細 詳細 ロニール雪山から行けるフィールド。 ストーリーには特に関係していないが、陸路で行ける最奥部の探索ポイントから錬成飛譜石が入手できる。 + 町・ダンジョン 町・ダンジョン ロニール雪山 ネビリムの岩 + 探索ポイント 探索ポイント15 アイテム名 価値 雪解け水 最低 熊の毛皮 低 顔料素材 青 並 ドラゴンの牙 高 氷精の涙 最高 探索ポイント29 アイテム名 錬成飛譜石 + 出現敵 ロニール雪山に挟まれた南部と錬成飛譜石の探索ポイントがある北部で異なる敵が出現する。 とくに北部では強力な敵が出現する。 出現する敵(南部) 名前 Lv HP エレノッサス 50 34500 プセウスティス 50 25200 ムスシプラ 50 12525 出現する敵(北部) 名前 Lv HP ライガス 62 23800 オリウェイル 63 18000 グレルホルン 64 21800 ジャバウォック 75 123000 ロックワーム 75 98000 関連リンク 関連項目 被リンクページ + 被リンクページ モンスター:エレノッサス モンスター:オリウェイル モンスター:グレルホルン モンスター:ジャバウォック モンスター:プセウスティス モンスター:ムスシプラ モンスター:ライガス モンスター:ロックワーム 地名・地形:アビス 地名・地形:シルバーナ大陸 地名・地形:ネビリムの岩 地名・地形:ロニール雪山 ▲
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作品情報 作品形式 小説 翻訳 野村芳夫 発行 Pヴァイン 発売 日販アイ・ビー・エス 初版発行日 2017/3/30 神話要素のある収録作品 咲き残りのサルビア 原題 Last Bloom on the Saga 著者 アンドリュー・ペン・ロマイン 賞金稼ぎのデューク・ウィンチェスターと相棒の超越者(ビヨンダー)レッグズ・マグローはL W鉄道に誘拐されたカーロー教授奪還ため機関車を襲う。 食屍鬼が言及される。 ショゴスⅡ世という名の超越者が存在。 L Wの軍曹の名がマーシュ。 地名「ゾハール市」。 レッグズ・マグローは南太平洋の海沈都市でデュークの人生百回分ほどの時を過ごした過去がある。 太平洋から現れる這い寄る瘴気が病を引き起こす。
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ペトロニーユダキテーヌ(ペトロニーユ・ダキテーヌ) フランス王の系譜に登場する人物。 関連: ギヨームジュッセイ (ギヨーム10世、父) アエノールドシャテルロー (アエノール・ド・シャテルロー、母) ラウルイッセイドヴェルマンドワ (ラウル1世・ド・ヴェルマンドワ、夫) エリザベートドヴェルマンドワ (エリザベート・ド・ヴェルマンドワ、娘) ラウルニセイ (ラウル2世、息子) エレオノールドヴェルマンドワ (エレオノール・ド・ヴェルマンドワ、娘)